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特集:街の中の石材~地球からの贈り物~(その1)

平塚市総合公園に見られる石材

最終更新:2000年10月7日

 ふだん、何気なく見過ごしていますが、街の中には様々な石材が数多く利用されています。考えてみても、ビルの外壁や内装材、住宅地の門柱、石垣、石塀、庭石、飛び石、敷石、記念碑・社寺の鳥居、狛犬、墓石、石仏など思い浮かぶでしょう。こうした石材の利用は、その石の特徴を生かして、古い歴史の中で生活の知恵として生まれ、私たちの生活に不可欠なものとなっています。この石材からは地球誕生の歴史や、日本列島の成り立ちについて知ることができます。ここでは、平塚市総合公園についてみてみましょう。
 総合公園には、15種類もの石材が使われています。外周道路の縁石や園内の歩道縁石には栃木県那須町産の芦野石が使われています。これはサイコロ状に切り出した石材で、現在では暗褐色をしていますが、本来は白色をしていました。この芦野石は、よく見ると中に1~2cm程の岩石片が含まれているのが特徴で、ある方向から見るとレンズ状の縞模様が部分的に見えます。この芦野石は那須から福島県南部にかけて広く分布し、白河火砕流と呼ばれる地層から切り出したものです。白河火砕流は那須岳の噴火に先だって、更新世前期(約100万年前)に起こった、極めて大規模な火砕流の堆積物です。従って溶岩ではなく、高温で火山灰が溶結して固まった凝灰岩で、岩石名は溶結凝灰岩といいます。一般には白河石として知られていますが、福島県産を白河石、栃木県産を芦野石と呼びます。芦野石の方が白く、白河石はやや赤味がかった石材です。
 中央入口のトーテムポールの様なモニュメントは黒いカンラン石玄武岩で、溶岩が冷却するときにできた縦の割れ目(柱状節理)を利用したものです。これは長崎県佐世保市産の肥前六方石で、中新世後期(約600万年前)に、北九州一帯に噴出した溶岩です。このような太い柱状節理を示す六方石は、日本ではこの肥前六方石だけで、世界的にも極めて貴重なものです。
 公園内の噴水・流れ周辺の石垣・体育館横や東入口のモニュメント・球場入口や東入口の公園銘板などには白色のみかげ石(花崗岩)が数多く使われています。このゴマシオ状の白みかげ石は、茨城県真壁町から産出する真壁みかげで、筑波山塊を作っているみかげ石の一つで、白亜紀後期(約6000万年前)に形成されたものです。よく見ると、マグマの活動を示す、白い石英脈が後から入り込んだ跡や、違う組成のマグマが混ざり合った様子を見ることができます(体育館横や東入口のモニュメント)。球場入口の銘板はみかげ石を貫く白い石英脈の上に文字を掘ったもので、脈の白をうまく利用しています。この文字の刻まれている表面をルーペで見ると、粗い結晶に混じって、1月の誕生石であるガーネットの結晶が多量に含まれていることがわかります。
 この他、日本庭園では池の縁に伊豆六方石(修善寺町)が、通路や庭園外回りの土留めに佐久石(長野県荒船山の火砕流堆積物)が、レストラン大原横の池の縁には真鶴町の小松石(箱根溶岩)が、池底には真鶴ゴロタが、メタセコイアの並木には利根川(茨城県)の深芝砂利が、体育館の階段や体育館入口の銘板には、ブラジル産のカパオボニート(約10億年前の赤みかげ)が使われています。

歩道縁石の芦野石 
写真:総合公園外周道路や園内の歩道縁石に使われている栃木県那須町産の芦野石

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