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村井弦斎略年譜

最終更新:2000年10月7日

文久 3年(1863)・・・三河吉田藩士村井清の長男に生まれる
明治 5年(1872)・・・3月、東京へ一家で上京
   7年(1874)・・・東京外国語学校露語科入学
   15年(1882)・・・「人世必要の学問を論ず」を『東京経済雑誌』に発表
   17年(1884)・・・8月、渡米
   18年(1885)・・・9月、帰国
   21年(1888)・・・報知新聞客員、東京専門学校に通う。雑誌『日本之時事』に「加利保留尼亜」を連載
   23年(1890)・・・報知新聞入社「市村座の演劇」を皮切りに紀行文、随想記事を掲載。7月以降「匿名投書家」「鉄欄干」「白鼠」翌年にかけ「小説家」を連載
   24年(1891)・・・報知新聞に「子猫」連載
   27年(1894)・・・編集総理となる。
   29年(1896)・・・「日の出島」連載(明治34年まで)
   34年(1901)・・・大隈重信の従兄の長女尾崎多嘉と結婚。新居は、後藤象二郎別荘(大磯町松下)「二十世紀の予言」を報知新聞紙上に発表。百道楽 シリー ズ第一弾「釣道楽」続いて「酒道楽」「女道楽」「食道楽」
   37年(1904)・・・「食道楽」が10万部を売り上げる。印税により濱岳(現八重咲町)に1万6千坪の屋敷地を購入、小田原より平塚に転居(12月)。この時期、「花」「紀文大尽」「近江商人」「阿古屋」が英訳される。
   38年(1905)・・・「食道楽」劇化
   39年(1906)・・・「婦人世界」の編集顧問になる。以後、「婦人世界」を中心に論文・小説を起稿する。
昭和2年(1927)・・・7月30日死去63歳。

村井弦斎(上)
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