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村井弦斎(下)

最終更新:2000年10月7日

 明治16年正月、弦斎は、立憲改進党の機関雑誌「明治協会雑誌」を発行する「明治協会」の会員になります。明治協会は、大隈重信、小野梓、田口卯吉、前島密、矢野文雄らの発起で設立されたもので、会員相互の知識を交換することを目的としていました。したがって、弦斎は、会員に「明治14・15年の銀行紙幣流通高」などの情報を求めるとともに、定期的に行われる会員の談話会に参加するなどして、明治協会と積極的に深い関わりを持ちます。しかし、6月にはこの会を退会していました。退会の理由は、4月にノイローゼとなり、5月から熱海・箱根の温泉で治療するための療養生活に入ったからです。  回復後の8月、弦斎は再びノイローゼになります。弦斎は何か一つのことに全力を集中すると、色々なことに神経が行き届かない生真面目な性格と考えられます。青年期にありがちな不安定な精神状況と相俟って、この時期、明治元年以来の外国貿易に関する統計書の編さん事業が中絶してしまい、それがノイローゼになる原因でした。
 健康を回復した弦斎は、翌17年7月、「経済学実地研究」をこころざし渡米を決意します。8月1日、215円という所持金の他、脇差や短刀各一振、鍔、小柄二本を持参し横浜港から米船紐育号で出発します。脇差などは、滞在費が不足した場合、渡航先で換金するための品であったと考えられています。9月、サンフランシスコの弦斎から最初の手紙が届きます。手紙には「遊米雑記」を添えていると書かれていますが、残念なことに、現在残っていません。したがって弦斎が滞米中に何をしていたよくわかりません。従来、弦斎は滞在中ハウスキーパーや煙草工場の職人となって苦学していたといわれます。しかし、語学力があり、1年間(翌18年9月帰国)という短い滞在で、当時としては多額の所持金を持って渡米していることから、滞在中は何らかの調査活動を行っていたことが想像されます。
 明治19年暮れ、弦斎は遊歴学者(地方の名家に寄宿して学問を教え、喜捨を得て生活する人)となって栃木県合戦場に滞在します。そこで、浪平という小学生に漢学を教えます。この浪平が、後に日立製作所を設立する小平浪平その人でした。後日、小平浪平は日立製作所を設立するきっかけは、弦斎の教授によると述懐しています。 外国語学校を退学してからの弦斎は、北海道・東北の旅、渡米、遊歴学者となって、さまざまに見分を広めます。その時の体験と経験が、後に弦斎の著作作品に大いに寄与したことはいうまでもありません。明治協会での情報は論文『我邦今日の急務を論ず』に、渡米先のサンフランシスコでの体験は、懸賞論文『内地雑居の利害及び其実施の方法』に結実します。そして、明治20年25歳のとき、「郵便報知新聞社主矢野文雄(龍渓)に一文を送り」認められて郵便報知新聞の(記者)客員となります。そして、東京専門学校(後の早稲田大学)に入学して本格的に文学の道を志します。翌21年4月から、弦斎最初の小説『加利保留尼亜』が雑誌「日本之時事」に連載されます。この小説も渡米体験が元となって執筆されたといわれています。 弦斎が小説家を志すキッカケを創った矢野文雄は、郵便報知新聞社長であると同時に当代随一の政治家(立憲改進党)・小説家として、当時すでに名を馳せた人物でした。明治16・17年、相次いで発表した彼の政治小説『経国美談』は、当時のベストセラーです。したがって、弦斎が『経国美談』を読み、その思想に共感を得ている、と考えて間違いのないところです。
 弦斎は、明治16年、明治協会会員として矢野文雄とはじめて出会います。その時、話をしないまでも、以後の弦斎の小説作品を見るとき、「小説とはどうあるべきか」という矢野の思想と一致する部分が多々あります。弦斎の小説作品には、矢野文雄の影響を看過できません。小説を書き始めてからの弦斎は、「小説とはどうあるべきか」という矢野の思想の忠実な継承者・実践者になります。その継承と実践の結果、当時、最も多くの人々に読まれる小説家になったといえます。弦斎と矢野文雄との関係は公私の別無く、弦斎が亡くなるまで脈々と続きます。この弦斎と矢野文雄との関係を、弦斎の父清が幼くして家督を継いだ弦斎に対する親子の情と同じか、それ以上のものであると考えることもできます。
 今日、人と人との出会いが希薄になり、何か味気ないものになっています。弦斎展を通して、「親子とは」、「出会いとは」、「小説とは」、などについて改めて考える機会になればと思います。

*この文章は、2000年7月の特別展『よみがえる村井弦斎』に先立って執筆されたものです。

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