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ひらつか歴史紀行 第40回

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ひらつか歴史紀行

 



第40回 平塚空襲 その4(人体への直接被害) (2012年9月号)


 前回は平塚空襲による地域の焼失状況をみました。今回、は空襲による人体への被害をみていきたいと思います。
 平塚空襲は家屋・建物を焼き払うだけでなく、人体への直接的な被害ももたらしました。平塚の空襲と戦災を記録する会の聞き取り調査の内容と、慰霊碑や書籍類で知り得た方とを照合した結果、現平塚市域外の被害を含めて、平塚空襲による死亡者数は328人になります。これは氏名や所属がはっきり判明している人だけを数えた数で、外国籍の方や短期滞在者の死亡もありうるので、実際の死亡者はこの数を上回ると思われます。
 また、その死亡者の居住地をみると、爆撃中心点から半径1.2km以内の半数必中界の外にも多くの死亡者が出たことがわかります【図1】。さらに聞取り調査でわかる範囲での死亡原因をみると、身体への直接被弾が6割以上を占めます【図2】。平塚の場合、市街地が比較的狭く、周囲の畑や空き地、海岸などへ逃げられたため、空襲で発生した火災による焼死は大きな割合を占めませんが、避難先での焼夷弾の直撃で命を落とす方が目立ちます。

【図1】平塚空襲の死亡者 【図2】聞き取り等に伝えられた死亡者の被災状況
【図1】平塚空襲の死亡者
※大野町には日本国際航空や火薬廠内での被災も含む
【図2】聞き取り等に伝えられた死亡者の被災状況
※『市民が探る平塚空襲 証言編』・『炎の証言』7~13号・『市民が探る平塚空襲 資料編』1~3・『硝煙の街・平塚』・『西さがみ庶民史録』2号より個人を識別できる107人に絞って分類した。


腕に入っていた金属片 焼夷弾に指を奪われた右手
腕に入っていた金属片
 空襲での消火作業中、腕に深く刺さったものがあり、親指が入るほどの穴が開いた。我慢して過ごし、45年たって摘出された金属片。横2cm。縦1.1cm。
焼夷弾に指を奪われた右手
 布団をかぶって乳児を保護しながら避難する時、焼夷弾が手を直撃した。ほかにも同様の負傷をした例があり、治りにくい傷となったという。



【参考文献】
 夏期特別展図録「市民が探る平塚空襲-65年目の検証」平塚市博物館 2010年

 

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