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第20回 幕末の村おこし竏瀦ミ岡村の報徳仕法 その9・完(克譲社仕法の終焉) (2010年11月号)


  前回は克譲社の結成・展開とそのねらいをみました。今回は克譲社の終焉とその問題、その後の大澤家についてみていきたいと思います。

  大澤兄弟(大澤小才太・大澤勇吉・上野七兵衛・陶山半次郎・福住正兄)が世話人となって結成、運営された克譲社ですが、残念ながら安政2年(1855)までしか史料がのこされていないため、
その後の詳細な経緯はわかりません。ただ、その後、真田村の上野七兵衛・陶山半次郎が「大災」にあい、安政4年には金目川の氾濫による復興のために巨額の支出をしたといいます。さらに、安政6年12月に湯本村の火災で福住家が類焼し、克譲社は休業、慶応元年(1865)に運営を再開しましたが、慶応3年に再び福住家が類焼、そして翌年の維新動乱により2月、克譲社は加入金を割り戻して終焉を迎えたといいます(「報徳会克譲社沿革」『大日本帝国報徳』27)。
 以上が、克譲社終焉の顛末ですが、ここからは克譲社がかかえる問題が見いだせます。前回述べましたように、克譲社仕法は資金源・対象ともに片岡村仕法よりも地理的に広範囲化しましたが、実は土地の買い上げも含めて大澤家縁戚や報徳関係者の豪農商へ巨額の融資がおこなわれていました。無利年賦貸付金における彼らへの融資が占める割合は8割弱にも及びます。これらの融資の意味は、大澤家縁戚の救済や報徳仕法の伝播であるとともに、彼らの経営破たんによる地域経済秩序の動揺を防ぐ意味もあったと述べました。ただ、一方で彼らに高額の融資をしている克譲社の存続を考えると、彼らの破たんによる仕法金の未回収は克譲社の破たんに直結します。克譲社の破たんを回避するためにも彼らに融資を続けざるをえない事情があったことがうかがえます。
 ところで、仕法資金における大澤家の拠出金の比率をみると、片岡村仕法においては5割強を占めていましたが、克譲社仕法では2割弱と仕法資金の大規模化にともない減少傾向にありました。論理的には無利貸付金の資金回転や仕法田畑からの収入等により、克譲社の世話人から自立した運営の可能性はあったと考えられます。しかし、実際には仕法金の融資額に世話人が占める比重は大きく、克譲社は世話人から自立できず彼らの経営危機とともに終焉しました。ここからは克譲社が大澤家や報徳関係者の豪農商層を基盤とし、彼らによる地域経済秩序の維持を前提とするがゆえに、彼らからの自立を構想し得なかった克譲社の問題が浮かびあがってきます。そのため、克譲社は世話人の経営危機とともに終焉せざるをえなかったといえます。

明治5年11月『田畑并大縄場地価取調書上帳』部分
明治5年11月『田畑并大縄場地価取調書上帳』部分
大澤家は片岡村民に土地を還付したため、村内での所持石高は70石6斗7升4合になっている。(個人蔵)

 さて、以上で片岡村の報徳仕法のお話は終わりますが、最後に大澤家のその後をみておきたいと思います。
 明治5年(1872)、大澤小才太は片岡村民の要求により、宝永正徳(1704縲鰀15)以降に村民から買い入れた大澤家の土地約200石を元金で村民に還付しました。これにより、天保9年には310石余あった大澤家の所持石高は76石に激減し、村民の所持石高は大幅に底上げされました。この行動について小才太は「先生の訓(おしえ)にいわく、君子足らざるを憂いず均しからざるを憂う、貧しきを憂いずして安からざるを憂う、予、その訓に従うのみ」と述べています(「相州大住郡片岡村大澤小才太氏報徳の道に入り一村恢復の事」『大日本帝国報徳』56)。地租改正を目前にした当時、人々の間では土地の所有権が焦点となっていました。明治9年には近隣の真土村(平塚市)で村民の土地返還要求に応じない地主松木長右衛門一家が惨殺される事件が発生しました。この事件の背景には土地の根元的な所有権は何年経ても元の地主が持ち、元金を調達すれば質入れした土地はいつでも請け戻せるとする「質地有り合せ次第請け戻しの慣行」があったとされ、相模国にはこの慣行が強く存在していたといわれています。大澤家の土地還付もこの慣行を背景におこなわれたと考えられますが、土地返還要求に応じず殺害された松木長右衛門と対照的な大澤小才太の決断には、尊徳の教諭と報徳仕法の経験の影響があったのではないでしょうか。


【参考文献】
 2006年度春期特別展図録「幕末の村おこし竏駐{尊徳と片岡村・克譲社の報徳仕法」
 早田旅人「近世報徳『結社仕法』の展開と構造竏酎鰹B片岡村・克譲社仕法からみる地主仕法の再検討竏秩v(『関東近世史研究』63号 2007年)

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