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第16回 幕末の村おこし竏瀦ミ岡村の報徳仕法 その5(報徳仕法の展開) (2010年7月号)
前回は二宮尊徳に諭されて独力で仕法を開始した大澤父子が、尊徳に認められて本格的な報徳仕法がはじまったことをみてきました。今回はその報徳仕法の展開をみていきたいと思います。
さて、「先生御指図を蒙り、村柄取り直し方趣法取り行い候」と尊徳の指導を得て本格的な仕法が開始されましたが、それにあたり、大澤家は家にあった刀剣・蒔絵細工・山水画・着物などの高級品・奢侈品を約130点売却し、その代金100両を仕法資金に拠出しました。
報徳仕法では様々な施策が実施されました。それは、村内の困窮者や出稼ぎからの帰村者の生活を支援し、村全体の底上げをはかり、仕法へ向けた人びとの意気を高める意味ももちました。以下に、片岡村の報徳仕法で実施された主な施策を紹介します。
出精人表彰:これは尊徳が大澤父子に提案した「出精人取立仕法」のことで、農業に出精し、村民の手本となる出精人を村民の入札によって選出・表彰するものです。選出された出精人は入札順位に応じて無年貢で耕作できる「助成田地」が与えられました。無年貢といっても実際は年貢がかかっているのですが、その年貢は仕法資金から支出されました。なお、出精人には肥料代の無利息貸付やその他の助成が付随することもあります。また、出精人の選出対象者は村内に居住する家の当主で所持高14石8斗余未満の者に限られました。この14石8斗余とは片岡村の石高728石を片岡村の家数49軒で割った平均石高で、この平均値は「天命」と呼ばれました。そして、この「天命」以上の所持高を持つ者を富者とみなし、以下の者を貧者として出精人表彰による助成対象としたのでした。村民間での入札表彰は村民の相互研鑽と自発性を促すといわれ、報徳仕法でみられる特徴的な施策のひとつです。
農具助成金:これまで出稼ぎに出ていた者で、帰村して就農しようとする者を対象とした助成金です。村を離れていた者の就農を支援し、村への定着をはかることが目的といえます。助成を受けた者の多くは所持高1石未満の出稼ぎ・日雇い稼ぎからの帰村者、潰れた家の相続者でした。
無利息貸付金:無利息貸付金には単年度返済で小額を融資する「当座貸付金」と年賦返済で高額を融資する「年賦貸付金」がありました。前者は主に生活保障や農業支援に使用され、後者は借財返済(借換え)や質地請戻し代金として使われました。ただ、高額の年賦貸付は他村に住む大澤家縁戚が多く借りており、彼らの家政再建資金に使用されていたと考えられます。
砂置荒地開発:宝永の富士噴火で砂置地(噴火物を集積した土地)となっていた荒地を開発しました。開発地は大澤家の土地でしたが、開発後に収穫される米は仕法資金に繰り入れられました。
以上の主な施策を見てみると、高額の年賦貸付金を除き、総じて村内の中層以下の人びとを対象に助成・支援し、村内の底上げを図り、貧困をなくすことで、人びとの村からの流出を防ぎ、村の活性化・村おこしをおこなうことが片岡村の報徳仕法の主眼であったことがうかがえます。
天保13年4月『本業出精人入札田方作取并肥代金貸付取調帳』 |
天保13年(1842)4月1日に実施された出精人入札表彰の記録。写真は入札の開封結果の記録で、「壱番札」に選出された周蔵は9人からの入札があった(個人蔵) |
【参考文献】
2006年度春期特別展図録「幕末の村おこし竏駐{尊徳と片岡村・克譲社の報徳仕法」
早田旅人「近世報徳『結社仕法』の展開と構造竏酎鰹B片岡村・克譲社仕法からみる地主仕法の再検討竏秩v(『関東近世史研究』63号 2007年)
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