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ひらつか歴史紀 第10回 西海地村栄次郎の道中日記

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第10回 西海地村栄次郎の道中日記 (2010年1月号)


  前回は「大磯」の虎にまつわる中世西相模の宗教的地域性をみました。
今回から再び近世の話題に戻りたいと思います。
  さて第4回で平塚を旅した人の道中日記にみられる平塚宿の旅籠屋評をみましたが、今回は平塚市域に残された道中日記から江戸時代の旅の様子をみていきたいと思います。

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西海地村栄次郎の道中日記が記された『日記帳』(当館寄託)

  幕末の慶応3年(1867)1月15日、西海地村(平塚市岡崎)の栄次郎が同行3人とともに伊勢・金毘羅を目指して旅に出ました。栄次郎はこの道中の記録を「日記帳」に記しています。「日記帳」は16,5×6,5㎝ほどの携帯に便利な小ぶりなサイズで、表紙には「嘉永七年正月」とありますが、年不詳の江戸行きの道中記や、備忘的な田畑面積の書上などとともに、今回の慶応3年の道中日記が記されています。
 栄次郎たちの旅はまず東海道で伊勢神宮をめざしました。一日に1回または2回の「小休」と「中飯(昼飯)」をとりながら、30縲鰀40kmほど進みます。初日は小田原に宿泊しました。
 その後、一行は伊勢までは三島大社に参詣した以外、寄り道せずに進み1月25日に伊勢山田に到着、翌日神宮に参詣しました。しかし、それ以降はいろいろな名所に立ち寄る周遊の旅になりました。1月29日に奈良に到着しましたが、その途中では長谷寺に参詣し絵図を買い、昼食には三輪でそうめんを食べました。奈良では案内人を雇い奈良の絵図も買っています。その後、大坂を経て瀬戸内海を船で行き、2月4日に丸亀に到着、そのまま金毘羅山に参詣、その日は金毘羅に泊りました。翌日は丸亀から瀬戸内海を渡り、2月6日に赤穂に着きました。赤穂では「焼しを(塩)」を買い、翌日は花岳寺で四十七士の墓に香を手向けています。その後、2月7日に書写山円教寺(姫路市)、2月9日に須磨寺(神戸市)・西宮神社(西宮市)、2月10日には中山寺(宝塚市)、多田神社(川西市)、能勢妙見山(能勢町)など精力的に神社仏閣を参詣しました。
 2月11日は勝尾寺(箕面市)に参詣後、大坂に入り、松屋源助に泊りました。松屋源助は第4回でみた「浪花講」の創設者の宿です。栄次郎はこの松屋源助も含め、旅籠名が確認できる27泊のうち20泊を「浪花講」の加盟旅籠に宿泊しています。
 一行は大坂でも案内人を頼み2泊し、2月13日には京都へ向かい、平等院(宇治市)に参詣し、2月14日は銀閣寺・知恩院、翌15日は金閣寺・西山三山・西本願寺に参詣しました。
 2月16日からは中山道方面へ進み、2月18日に養老寺(養老町)、2月19日に津島神社(津島市)・熱田神宮(名古屋市)に参詣、東海道に戻り、2月20日に豊川稲荷(豊川市)に参詣しました。そこからまた東海道を離れ、2月22日に秋葉神社(浜松市)に参詣して掛川に向かい再び東海道に戻り、2月26日に箱根湯本の福住旅館に宿泊して2月27日に西海地村に到着しました。この旅行の総費用は72両2分2朱余にもおよびました。使途には宿代、食事代、神社仏閣での賽銭・御札、お土産代、海や川での船賃のほか、紙や筆、草鞋などの日用品や、旅の疲れがうかがえる「もぐさ」、「足薬」、「道中たっしゃ薬」の購入もみられます。
 さて、栄次郎の旅行は1月15日縲鰀2月27日(西暦では2月19日縲鰀4月1日)の一か月半にわたりましたが、この期間は農閑期であり、旅行に適した時期でした。また、伊勢参詣以後の旅行からは、現在の周遊型バスツアーにも似た「何でも見てやろう」といわんばかりに貪欲に旅行を楽しむ栄次郎の姿が浮かびます。
 栄次郎の道中日記からは、幕末期には案内人や浪花講、各種の薬など旅を支える仕組みが整い、各地に見るべき名所や買うべきお土産が存在し、徒歩が主ではありますが、お金さえあれば一般人でも楽しく快適な旅ができる時代になっていたことがうかがえます。

慶応3年(1867)1月15日縲鰀2月27日 西海地村栄次郎の伊勢・金毘羅参詣ルート
慶応3年(1867)1月15日縲鰀2月27日 西海地村栄次郎の伊勢・金毘羅参詣ルート


【参考文献】
 2004年度春期特別展図録「近世平塚への招待竏抽ル蔵資料でみる23題」
 

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