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「相模川の生い立ちを探る会」
大地の声を聞く(4)
ここでは、「相模川の生い立ちを探る会」に参加している会員の方々が大地に触れ、感じとった大地の声を聞いてみましょう。
■富士と衝突境界 富士山の北麓に位置する足和田山。足和田山から紅葉台至る尾根には、浅く陸に近い海で堆積した大きい礫から、徐々に粒子が小さくなり、次第に海が深くなっていく様子が観察できます。本州と地塊の間に横たわる海峡が徐々に狭まり、押し上げられて陸続きになってゆく様子が物言わぬ岩石から伝えられてくるようでした。 三湖台からは富士山麓から西湖にかけて、視野いっぱいに広がっている青木ヶ原樹海が見渡せました。西暦864年から始まった貞観噴火の溶岩流は、当時も広がっていた深い森を焼き尽くしながら、青く満々たる水をたたえた「せの海」に迫り、もうもうたる水蒸気を上げながら巨大な湖を寸断し、埋め尽くしていったことでしょう。その光景をここに立ち、じっと見つめていた平安の世の民がきっといたのではないか?平成の風に吹かれながら、そんな想像の翼を広げてしまいました。(K.H.) |
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三湖台より平安時代の青木ヶ原溶岩流と寄生火山の大室山を望む |
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■渋沢鉱山の黄鉄鉱君のつぶやき 僕は、秦野の峠にある渋沢鉱山で金色にピカピカ光っている黄鉄鉱です。渋沢鉱山はその昔、怪我をしたときに手足を固定するギブスの原料である石膏を掘っていました。僕は、もっともっと昔に、海の底で温泉水から生まれたらしいと聞かされています。僕の顔は六面あります。僕の兄弟には、八面の顔を持ったり、12面の顔を持ったり、24面のものもいますが、住んでいる所は違うようです。親戚の変わり種には、湾曲状や針状や球状集合の姿をしているのもいて、意外と見た目で判らないものもあります。皆親戚ですので、結晶構造や硫化鉄(FeS2)の質には変わりありません。たまには丸木橋を渡って遊びに来て、拾った僕をケースに詰めて、机の飾りにしてください。(K.K.) |
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渋沢鉱山跡で黄鉄鉱と石膏を探す | |
■腐れ礫の不思議 多摩丘陵は関東ローム層の下に御殿峠礫層と呼ばれる風化し、腐った礫層が知られています。この礫には丹沢山地の凝灰岩・トーナル岩・安山岩、小仏山地の砂岩・頁岩・チャートなどが含まれていて、50万年前頃、多摩丘陵がまだなかった時期に、多摩丘陵を相模川が八王子方面に流れていたことを物語っています。この時期の礫岩層は全国的にみても、腐り礫になっているものが多く知られているそうです。岩石は風化し、もろく崩れやすくなると細かく割れ、やがて砂になってしまいます。しかし、多摩丘陵で見た腐れ礫は礫の形を残したままで、露頭を草削りでけずれば、礫も簡単に切れます。中まで同じ堅さなのです。どのような環境で長い年月を過ごしてきたのでしょう。気候の温暖期の産物といわれますが、ほんとうに不思議です。(N.S.) |
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多摩丘陵で見られる腐り礫 | |
■根府川海岸からの地形展望 根府川駅から海岸沿いに小田原へ向かって歩くと、前方に小田原の足柄平野から曽我丘陵が見えます。足柄平野と曽我丘陵の境には国府津・松田断層があり、5万年前に箱根火山から流れた火砕流が高度200mほどずれていると言われています。地形を望むと、足柄平野が陥没しているのが手にとるように分かります。まるで相模湾の海底に潜って、フィリピン海プレートと本州弧の境を目の当たりにしているようです。 手前の石橋あたりは左側の外輪山から続く比較的緩やかな傾斜が、海岸近くで急崖になっています。この急崖は海食台といって波で削り取られた所です。国道より海を見ると、いく筋もの溶岩の流れたあとが見られます。今まで何十回となくこの道を車で走り良い景色だなと漫然と見ていたのですが、改めて「大地の声」を聞くと新しい感動を覚えました。何千年から何万年という新しい時代のこのような大地の変動を先祖の人たちはどんな思いで眺めていたのでしょうか。(K.T.) |
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根府川海岸から小田原方面の地形を望む |
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