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「相模川の生い立ちを探る会」 活動の記録
第245回 2013年7月7日 大磯町国府本郷~大磯駅
■ 大磯の平野の地形(大磯町東部)
■ コース:大磯プリンスホテル~国府新宿~不動川神橋~平塚学園総合グラウンド~西小磯海岸~大磯中学校~大磯駅
梅雨明け初日、大磯プリンスホテル入口バス停に集合しました。今回の目的は前回に引き続き、縄文海進期以降に海と川が作った大磯の平野の地形を観察しながら、沖積段丘の高度を測定して、地殻変動との関連を探ることでした。
国道1号線沿いの平坦面は海成の中村原面(6000年前の縄文海進期に堆積した砂層からなる平野)で標高約15 mでした。国道から葛川低地に向かうと、2段の段丘が認められました。段丘面の比高から、2段の段丘は標高13~10 mほどで、葛川のかつての河床を示す前川面と考えられると説明されました。葛川低地は標高約8 mでした。葛川の南側には大磯プリンスホテルの建つ高台があり、これは海退に伴って形成された砂丘と考えられます。またホテルの南側にあるプールは、ホテルの建つ砂丘より一段低い高さにあり、低位の砂丘との間に形成された砂丘間凹地に作られたものと解説されました。国府本郷では国道1号線沿いの中村原面と、その下位の前川面との比高を測定しました。
北上して、国道と東海道線を渡った不動川の神橋付近では、海成の中村原面は標高
14 m、河成の不動川低地は標高10~8 mでした。さらに、平塚学園総合グラウンド周辺で馬場の中村原面と不動川の低地を観察しました。その後、南下して城山公園~葛川河口に向かいました。西小磯海岸の血洗川河口付近で、大磯層の地層を観察し、波食台の海面からの高度を測定しました。波食台の比高は汀線より最大で2
mほどありました。大正関東地震による隆起とその後の沈降を考えると、数値が大きいように感じられます。海岸より国道1号線・東海道線を越え、北に向かい、西小磯の血洗川沿い周辺の中村原面を確認しました。
さらに、宇賀神社から東海道に沿って歩き、大磯中学校の立地する砂丘列と、北側の中村原面の比高を計測しました。旧東海道が通る国道1号線沿いは、砂丘の北端部が平坦化したものと考えられました。
今回の観察で、大磯周辺地域では砂丘列は平塚に比べて少なく2列程度であること、海成段丘が2段あることなどがよく観察できました。(K.
K. )
▲国府本郷の大磯警察署南側にて中村原面と前川面(道路面)の比高を測定する。 | ▲大磯プリンスホテル北側の砂丘(左手)と葛川低地の間に流れる葛川。 |
▲砂丘の上に立つプリンスホテル(左手)と砂丘間凹地に作られたプール(右手)。 | ▲プリンスホテルが建つ砂丘の上から見た大磯の葛川低地。 |
▲国府本郷にて中村原面と前川面の比高を測定する。 | ▲国府本郷の馬場にみられる不動川低地に作られた水田。 |
▲国府本郷の平塚学園グランド東側に広がる不動川低地の水田。 | ▲大磯海岸で隆起波食台の海水面からの高さを測定する。 |
▲西小磯海岸に露出する大磯層の露頭。 | ▲西小磯海岸付近の砂丘上に建つ住宅と中村原面(左手)。 |
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