平塚市博物館公式ページ

「相模川の生い立ちを探る会」 活動の記録

第228回 2012年1月15日 日本水準原点・霊岸島水位観測所・浦安



テーマ:日本水準原点・霊岸島水位観測所と浦安の液状化
■ コース:千代田区永田町国会議事堂駅前~日本水準原点~中央区八丁堀駅~霊岸島水位観測所~千葉県浦安市新浦安


 今回は当初の予定を一部変更して、午前中、日本水準原点と霊岸島水位観測所を見学し、午後は2011 年3 月11 日の東日本大震災 (東北地方太平洋沖地震) で大きな被害を受けた浦安市に、未だに残る液状化の被害状況を観察することにしました。
 日本水準原点は日本全国の標高を決める基準として、明治24 年5 月に当時の日本陸軍参謀本部陸地測量部によって設置されました。地下鉄丸の内線の国会議事堂前から歩いて8 分の国会議事堂から続く台地に、日本水準原点はありました。原点の標柱は日本水準原点標庫と呼ばれる、ローマ神殿形式の石造建築で保護されており、見ることはできませんでした。日本水準原点の標高は1891 年に24.5000 mと定められましたが、1923 年の大正関東地震の影響により、24.4140 mに改訂され、さらに2011 年東北地方太平洋沖地震の影響を受けて、現在では24.3900 mと修正されています。
 次に地下鉄日比谷線の八丁堀駅近くにある、霊岸島水位観測所を訪ねました。霊岸島水位観測所は日本の標高0 mの原点となった場所です。元来、測量は主要な河川の河口部に水位を計る基準点を設けて、そこからの高さを求めて行われていました。明治6 (1873 ) 年に霊岸島に、A.P.(Arakawa Pail, Pailはオランダ語で基準・標準の意)が、明治7(1874 )年に江戸川にY.P. (Yedogawa Pail) が設置されました。霊岸島で、明治6 年から明治12 年まで6 年3 ヶ月間 (4 ヶ月の欠損を除く) にわたって潮位の観測が行われ、この間の平均値A.P.+1.1344 mをT.P. (Tokyo Pail) ±0.0 mと定めたのです。したがって、霊岸島水位観測所は、日本の標高0 mの原点にあたる場所なのです。T.P.
○○ mというのは、東京湾平均海面からの高さであり、その元は霊岸島水位観測所にあったのです。この霊岸島水位観測所近傍にある1等水準点「交無号」を標高3.24 mと計り、ここから順次、日本水準原点まで測量して、日本水準原点の標高を24.5000 mとしました。100 年余の昔に、この原点を基準として、国土の標高を確定させる作業が始められたと思うと、感慨を覚えました。
 午後には、浦安市へ移動しました。新浦安駅周辺は広大な砂質の埋立地に広がる、20 階に及ぶ高層住宅群を擁する美しいベッドタウンでした。今回は会員が事前調査したルートを、地震直後の被害写真と現状を比較しながら観察しました。被害としては建物周辺の地盤の沈下、液状化による噴砂、マンホール等の埋設物の浮上りが目立ちました。震災後、8 ヶ月経ったあとでも被害が明瞭に残るほどの大震災であったことを今更ながら感じました。地盤沈下は高さ70 cmに達し、建物入り口に数段のステップやスロープが設けられていました。噴砂は粒子の細かい極細粒砂で、平塚海岸と比べて極めて細かいシルトに近い砂でした。浦安での液状化被害は、地盤改良のされていない埋め立て地で多かったようです。遠地地震であっても、揺れの周期や震動時間によって、液状化が起こることを目の当たりに見ることができ、有意義でした。東日本大震災では、平塚市域でも液状化被害が一部に出ており、地盤に対する意識の重要性をつくづく感じました。(S. M. & K. I. )

               

日本水準原点のある標庫(千代田区永田町1丁目) 日本水準原点の東にある基本水準点「丁号」
▲日本水準原点のある標庫(千代田区永田町1丁目) ▲日本水準原点の東にある基本水準点「丁号」。  
地下鉄日比谷線の八丁堀駅近くにある霊岸島水位観測所 霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係を示す図
▲地下鉄日比谷線の八丁堀駅近くにある霊岸島水位観測所。 ▲霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係を示す図(霊岸島水位観測所の解説板)。
霊岸島水位観測所近傍にある1等水準点「交無号」 新浦安駅南口は液状化のため地盤沈下し段差が生じたため、スロープが作られていた
▲霊岸島水位観測所近傍にある1等水準点「交無号」。 ▲新浦安駅南口は液状化のため地盤が沈下し段差が生じたため、スロープがつくられていた。
若潮公園隣の交通公園内にできた噴砂 地盤沈下で生じた段差を計測する
▲若潮公園隣の交通公園内にできた噴砂。地中の配管に沿い直線的に噴出した様子がわかる。 ▲地盤沈下で生じた段差を計測する(入船4丁目)。
液状化で浮き出たマンホール 明海5丁目に残る噴砂の跡。砂に貝殻片が混じる
▲液状化で浮き出たマンホール(日の出1丁目)。 ▲明海5丁目に残る噴砂の跡。砂には貝殻片が混じっていた。
入船交差点北西側にみられた歩道橋と築山の間の70cmの段差 ビルと歩道の間には大きな段差が生じた
▲入船交差点北西側にみられた歩道橋と築山の間の70 cmの段差。 ▲地盤だけが沈下したため、ビルと歩道の間には大きな段差が生じた(美浜1丁目)。


活動の記録へ戻る

大地の声へ戻る

 博物館トップへのリンク

電話:0463‐33‐5111 Fax.0463-31-3949