わたしたちは「相模川流域の自然と文化」をテーマに活動している地域博物館です

展示室案内

1階展示室

相模平野と人間

テーマ:相模平野と人間

相模川によって作られた相模平野の大地や自然の様子と、その恩恵を受けた人々の暮らしを、地模型やジオラマ、移築した民家などにより展示し、自然と人々との関わりを紹介します。

1階展示室
  • 1博物館へようこそ
  • 2もっと知りたい私たちのまち
  • 3相模川流域をさぐる
  • 4相模川のめぐみ
  • 5くらしと金目川
  • 6里山の四季
  • 7海と山を結ぶ鳥-アオバト-
  • 8まちの中の石材
  • 9五領ヶ台のくらし
  • 10塚越古墳とむら
  • 11平塚宿
  • 12相模の家
  • 13寄贈品コーナー

1博物館へようこそ

博物館へようこそ

博物館には、1976 年の開館以来多くの資料が集められてきました。それらの資料を、調べたり、比べたり、読みとったりすることで、私たちは自分の住んでいるまちや、その近くの川や山について多くのことを知ることができます。このコーナーでは、博物館にどんな資料があるのか、まず見て頂きます。扉を開けると、どんな資料が顔を出すでしょうか?その中にあなたが興味を持つものがあったら、館の別の展示の中でその資料を探し、さらにくわしく観察してみてください。

2もっと知りたい私たちのまち

もっと知りたい私たちのまち

昔の航空写真からは、地形と土地利用の関連を読みとることもできます。国道一号線付近は砂丘列間の低地で水田に利用され、八幡から馬入にかけて築かれた内土手の外側は相模川の氾濫原のため住宅はありませんでした。それぞれの土地がかつてはどんな地形で、どのように利用されていたのかを知る上で、昔の航空写真は大きな手がかりを与えてくれることでしょう。

3相模川流域をさぐる

相模川流域をさぐる

平塚市は相模川の河口部に位置しています。平塚の母なる川・相模川は忍野八海に代表される富士山北東麓の湧水に源を発し、丹沢の山々の間をぬって流れ、丹沢と離れてからは相模野台地や相模平野を通って、相模湾に注いでいます。平塚市博物館はその相模川によって作られた大地の自然や、それを舞台に繰り広げられてきた人々の暮らしについて、すなわち「相模川の自然と文化」をテーマにしています。ここでは、相模川流域の地形・なりたち・動植物などの自然と、縄文時代から現在に至る私たちの暮らしとの関わりを地形模型でみてみましょう。
地模型と押しボタンやパソコンでの画像とが連動していますので、相模川流域や平塚に関する様々な情報を引き出して見てください。

4相模川のめぐみ

相模川のめぐみ

相模川の水運の史料は戦国時代よりみられます。近世には甲斐・津久井の材木や流域村々からの年貢などを河口の須賀・柳島の湊へ送り、海船に積み替え江戸へ送る輸送路が確立しました。寛文4年(1664)には、津久井県太井村に荒川番所が設置され、流通物資に運上金が賦課されました。物資の輸送を担った高瀬船には時として大山参詣の人々も運ばれ、相模川は人と物資の行き交う動脈として発展し、須賀湊は川と海の結節点として繁栄しました。

5くらしと金目川

くらしと金目川

市内の水田は、主に相模川、鈴川、金目川の水で灌漑しています。金目川の灌漑域は、市西部の土屋・金目・金田・旭・岡崎の一部です。川の水を水田へ引くには、川を堰き止めて水門へ導き、用水堀へ水を流します。市内の金目川には取水堰が現在10カ所設置されています。昭和 29 年に周辺の堰を統合して建設された飯島堰(金目川堰)は金目川で最大の堰です。最も川下に位置する堰なので、6月の田植え期は飯島堰で全部取水し、金目川に水が流れなくなります。この時期、金目川の水はすべて水田に流れているのです。

6里山の四季

里山の四季

里山は、人々の暮らしの場であると同時に多くの動植物の生活の場ともなってきました。水田は、シュレーゲルアオガエルやアカガエルの仲間が産卵に利用し、カエルを餌にするヤマカガシのような爬虫類やサシバのような猛禽類が多く見られます。水路には、ホトケドジョウやカワニナが生息し、ゲンジボタルが集団で発生する場所も少なくありません。雑木林にはキンラン・ヒトリシズカのような多くの野草が花咲き、クヌギの樹液にはカブトムシやノコギリクワガタ、オオムラサキやゴマダラチョウが集まっていました。

7海と山を結ぶ鳥-アオバト-

海と山を結ぶ鳥竏茶Aオバト竏驤€

大磯町の照ヶ崎海岸は、初夏から秋にかけて、アオバトという美しい緑色のハトの群れが海水を飲みに訪れることで知られています。 野鳥観察グループ「こまたん」の行った調査によると、照ヶ崎に飛来するアオバトは多い日には1日のべ 2000 羽を越え、群れの最大数も300 羽を数えることがあります。 海の荒れた日には、波に飲みこまれる事故も起こり、アオバトがなぜ危険をおかしてまで海水を飲みに来るのかに興味がそそられます。

8まちの中の石材

まちの中の石材

街の中には、ビルの外壁、神社の鳥居や狛犬、公園の縁石や石碑、住宅の塀や生け垣の基礎、庭の飛び石など、様々な場所にいろいろな石材が使われています。富士山や箱根の溶岩、丹沢の七沢石は、江戸時代から生活の中でさかんに利用されてきました。相模川や酒匂川などの河川敷からも、かつて玉石が採取され、石垣などに使われてきました。こうした石材にも、相模川流域のなり立ちや日本列島の誕生、地球の歴史を示す様々な情報が隠されています。日本には存在しない 20 億年も前の地球上で最初にできた大陸の様子を想像することもできます。身近すぎて見過ごしてしまう石材について、見直してみましょう。

9五領ヶ台のくらし

五領ヶ台のくらし

五領ヶ台貝塚は平塚市広川字五領ヶ台に所在します。貝塚は大磯丘陵東縁の北東に張り出した舌状台地斜面に立地し、東と西に分布しています。
貝塚から出土した資料と土壌分析から、当時のくらしと環境を再現しました。家族は台地に竪穴住居を造り、男性は力仕事を、女性は家事を、と役割を分担し暮らしていたようです。道具は全て手作りですが、一部の道具は交易品で補っています。食料は根菜類・堅果類を中心とし、肉・魚・貝も食べていました。四季の変化に恵まれた環境の中で、季節に応じた労働作業や食料採取を行っていたと考えられます。この時代に生まれた技術や道具は今の私たちの生活の母体となっています。

10塚越古墳とむら

塚越古墳とむら

塚越古墳は平塚市北金目字塚越に所在し、北金目台地に立地しています。調査は昭和 34 年度に行われ、全長 45m の前方後円墳とされ、遺物は管玉、刀子、人骨が出土しました。埋葬施設は粘土敷きの割竹の木棺直葬と推定されています。平成 6・8 年に周溝の調査が行われ、土師器坩・器台・高坏、小銅環が出土しています。この調査で墳形は前方後方墳の可能性が指摘され、年代も従来の 6 世紀代から 4 世紀代と遡りました。 墳形の課題はまだ残っていますが、年代は古墳時代前期の古墳と考えます。

11平塚宿

平塚宿

平塚宿は慶長 6 年(1601)、徳川家康による東海道の整備とともに設定されました。また、慶安 4 年(1651)には八幡村の一部が八幡新宿として平塚宿の加宿となり、明暦元年(1655)に平塚新宿と改称しました。宿は幕府や諸大名の荷物を継ぎ立てる目的で設定され、そのための人馬を常備する義務を負い、問屋場がその運営をおこないました。 平塚宿は天保 14 年(1843)の書上げによると家数は 443 軒で、そのうち本陣 1 軒、脇本陣 1 軒、旅籠 54 軒、人口は 2114 人となっています(平塚新宿を含む)。東海道が宿内を東西に貫通し、道幅は 4 間(7.2 m)~ 6 間(10.8 m)、家並みは街道を挟んで両側に 19 町 5間(2km)の長さにつらなっていました。なお、平塚宿と隣宿の大磯宿との距離は 27 町(約3km)で、東海道の宿場のなかでも御油・赤坂間の 16 町(約 1.7km)に次ぐ短い距離でした。大磯宿に近接した平塚宿の設定は、中原御殿・陣屋との連絡基地として必要とされたためと考えられます。 模型は文久 2 年(1862)に作られた「宿内軒別畳数坪数書上帳(宿並帳)」をもとに、当時の平塚宿を200分の1で推定復元したものです。この史料は宿内それぞれの家について間口・畳数・坪数を書き上げたもので、本陣や脇本陣、高札場、毎月 10 日交代で勤めた東組・西組問屋場など宿の規模と位置関係がわかります。

12相模の家

相模の家

展示室に復元されている民家は、広川の窪田家旧宅の一部を移築したものです。博物館建設準備中に家を新築することになり、旧宅を寄贈してもらいました。移築したのは、デエドコロ(土間)とザシキの一部です。ザシキは本来は間口が三間ありましたが、展示では二間に切りつめて復元しています。また、ザシキの裏手は一間分が土間になっていましたが、展示では板の間に変更しています。土間をデエドコロと呼ぶのは市西部にみられる傾向で、市域では一般にニワと呼びます。ニワは、炊事場、貯蔵場、作業場として使用しました。 本来はザシキの右手にさらに四部屋あった五間取りの家で、間口が十間半(約 19 m)、奥行きが四間半(約8m)あり、四七坪ほどの大きな家でした。ナンドとナカノマの二部屋は一般の農家にはついていませんでした。ザシキには式台と呼ぶ正式な玄関があり、格式の高い家であったことがわかります。窪田家は江戸時代には村役人を務めたこともある家です。

13寄贈品コーナー

寄贈品コーナー

このコーナーは皆様から寄贈された資料を紹介するコーナーです。毎年 4 月と 5 月に前年度に寄贈された資料を紹介しています。また、このコーナーでは寄贈された資料の「新着資料展」以外に、館蔵資料を使って各部門の担当者がテーマを決めて年 6 回ほど実施しています。最近の展示テーマの例として、「平塚の戦災と空襲展」・「化石のいろいろ」・「漂着物コレクション」・「春の星空を見よう」などがあります。また、特別展示室では足りない場合とか、特別展に関連した展示もしています。 なお、当館では博物館実習生を毎年受け入れており、カリキュラムの中で、実習生による展示制作を組み入れています。悪戦苦闘しながらもすばらしい展示を作り上げています。 このコーナーは博物館の展示でも頻繁に変わりますので、足繁く博物館に立ち寄っていただきたいと思います。

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2階展示室

地域を探る

テーマ:地域を探る

相模川流域の自然や生活に関わるいろいろな情報について、実物資料を中心に展示しました。
   流域の自然と文化をより深く理解し、過去の情報から現在や未来も見つめるように展示が構成されています。

2階展示室
  • 1相模湾に生きる
  • 2ミショー式自転車
  • 3浜で拾う海の自然
  • 4川から海へ
  • 5大地の生い立ち
  • 6深海のシロウリガイ
  • 7岩石と地形
  • 8生活を語る土器
  • 9タブノキ
  • 10道具の歴史
  • 11まつりの世界
  • 12相模国府を探る
  • 13農家の四季
  • 14宿場のくらし
  • 15講のつどい
  • 16失われるもの
  • 17地震と平塚の地盤
  • 18都市と生物
  • 19昭和のくらし
  • 20情報コーナー

1相模湾に生きる

相模湾に生きる

平塚の海岸は砂浜が長く続くため地曳網に適し、昭和初期には合わせて 18 統もの地曳網がありました。現在は、シラス船曳網の影響や乗組員不足などにより、一統が観光網を操業するだけになりました。
地曳網では現在も木造船を用いています。木造船はFRPの船よりも重く、荒波を受けても安定感があるためです。大磯や二宮の地曳船と比べると、平塚の船は船体が大きく、先端のミヨシがせり上がっているのが特徴です。船の形は、網の規模や対処する波の高さにより漁場ごとに違いが生じます。

2ミショー式自転車

もっと知りたい私たちのまち

ミショー式自転車とは、フランスのミショーが考案したもので、車輪に直接ペダル・クランクを取り付け、前輪を駆動します。この自転車は発明後、ミショーによって月間400台も量産されたと伝えられ、ベロシペードの名前で親しまれました。イギリスに渡った後はボーンシェーカー(骨ゆすぶり)の愛称で呼ばれ、アメリカでも量産され1880年代まで世界に広まりました。展示してある自転車は、平塚市明石町の平田忠心史(明治31年~昭和63年)が所蔵し、東京都の旧・交通博物館に常設展示されていましたが、交通博物館の閉館にともない当館に寄贈されました。平田氏は自転車店を経営し、若いころは自転車競技の選手としても鳴らし、平塚市の交通文化の発展に尽力された方です。また大雄山最乗寺の篤信者でもあり、平塚復興講の講元を生涯にわたり務められ、道了講の普及に貢献されました。この資料は前後輪異径のミショー式自転車で、1869年(明治2)年にアメリカから輸入されたものと言われています。

3浜で拾う海の自然

もっと知りたい私たちのまち

かっての湘南海岸はアカウミガメがよく産卵に訪れていました。現在でも、大磯・片瀬などで年に1回は産卵が確認され、虹ヶ浜でも子ガメが観察されたことがあります。
また、時には死体が漂着することもあり、相模湾にアカウミガメが定期的に訪れていることは確かです。展示した剥製と骨格標本はどちらも平塚海岸に流れ着いたものです。
アカウミガメが安心して卵を産むには、静かで車や人家の灯りが届かない暗い浜が必要です。そうした条件の浜を取り戻したいものです。

4川から海へ

川から海へ

波打ち際で拾う物の中には、野山や街のものもたくさん含まれています。たとえば、必ず拾える物の一つであるオニグルミの実を見ていると、山の自然と海の自然が川を通してつながり合っているということを実感することができます。きれいに穴が開いたオニグルミは、アカネズミが食べたものです。拾った物の観察は、生きもののつながりについてもいろいろなことを教えてくれます。

5大地の生い立ち

大地の生い立ち

ここでは、相模川流域の1億年に亘る大地の歴史を9つのステージ、すなわち四万十帯の堆積と付加、南の海の丹沢、石英閃緑岩の貫入、丹沢の衝突と相模川の誕生、伊豆の衝突、二宮層の海、下末吉海進期、古富士火山活動期、縄文の海に分けて、古地理図や写真、岩石や化石の実物標本を基に展示しています。身じかな自然の中にみられる様々な岩石から大地の生い立ちを知る証拠を読みとって下さい。

6深海のシロウリガイ

深海のシロウリガイ

相模湾では相模トラフ東側の沖ノ山堆列とトラフ西側の初島沖の水深 1000m 以深の8ヶ所でその存在が確認されています。相模湾には中央に相模トラフと呼ばれる水深 1000 mを越える海底谷があり、フィリピン海プレートが本州側のプレートに沈み込んでいるプレート境界といわれています。日本ではこうした深海を持つ湾は駿河湾と富山湾を含めて3つしかありません。相模湾のシロウリガイの分布は、いずれも相模トラフに沿う急崖にあり、プレートの沈み込みをうらづけるものです。
展示してある逗子市のシロウリガイ化石は横浜防衛施設局から寄贈いただいたもので、現生種とはやや異なる化石シロウリガイで、約300 万年ほど前の逗子層から産したものです。かつてここが、現在の相模湾のような深海のプレート境界であったことを示しています。

7岩石と地形

岩石と地形

相模川流域の地形は丹沢山地や伊豆地塊が本州に衝突し、関東山地や丹沢山地が急激に隆起して作られました。流域の山々は比較的新しい時代に形成されたもので、急峻な壮年期の地形をしています。流域の地形は岩石の硬さや地層の構造、断層の存在などをよく反映しています。相模川にかかる滝には、富士火山の溶岩流の末端にできているもの、断層運動によって生じたものが多く見られます。第四紀という最も新しい時期に形成された富士や箱根には、火山特有の地形がよく見られます。
ここでは、相模川流域の大地がどのような岩石からできているのか、どのように地形と関係しているのかを、流域の地質図と、様々な地点での写真・実物標本をもとに紹介します。

8生活を語る土器

生活を語る土器

土器の出現が縄文時代の始まりで、土器は煮沸具として出現します。食生活の拡大と人口の増大につながる画期的な道具として評価することができます。やがて、煮沸具としての機能から、次第に様々な用途にあった容器に変化していきます。
土器の形・文様・成形技法の変化は考古学を研究する上で基本となります。というのは、遺跡から一番多く出土するのが土器だからです。他の道具より変化の多い土器は時間の物差しとして使われます。
それぞれの時代の土器を見ていくと、緩やかですが微妙に変化していくことがわかります。この微妙な変化を見極めることで、その時代に生きた人びとのくらしを再現することができます。

9タブノキ

タブノキ

1964 年、平塚駅西の中央地下道工事の際、標高 2m から長さ 4m 程の巨大な埋もれ木が発見されました。この埋もれ木はタブノキで、樹齢 300年ほどのものです。年代測定の結果では、1950年前(西暦 1950 年を基準とする)という値が得られており、約 2000 年前には東海道線付近は海浜であり、漂着物としてタブノキが打ち上げられたことになります。

10道具の歴史

道具の歴史

道具の歴史は人類の出現とともに始まります。旧石器時代の道具は自然の礫を打ち欠いて作った打製石斧ですが、次第に石器を磨いて作った磨製石斧が登場します。また、黒曜石などの鋭利な剥片を利用するために石材が使われました。
最初は一つで多くの機能をもつ道具として出発した物が、次第に細分化されていく様子を道具の歴史から知ることができます。道具の歴史はその時代の社会を反映しており、まさに時代の生き証人と言えます。私たちの道具の母体は縄文時代に作られたと言っても過言ではありません。

11まつりの世界

まつりの世界

原始・古代人の日常生活にも収穫する喜び、病気の苦しみ、人が亡くなったときの悲しみ、地震や火災に対する不安・恐怖などがつきまといます。その様々な思いが形として現れるのが「まつり」です。願いや祈りを込めた遺物をとおして、くらしの中から生まれた「まつり」の一端を探ります。

12相模国府を探る

相模国府を探る

律令に基づいた中央集権国家は公地公民制を実現するために畿外を七道(東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道)に分け、道筋に国々を配置します。相模国は東海道に属しています。国は郡の数により大国、上国、中国、下国に分けられ、相模国は 8 郡(足上・足下・余綾・大住・愛甲・高座・鎌倉・御浦)からなるので上国になります。国府はその国の行政、司法、経済、文化の中心となり、都市としての組織や機能をもっています。中央から国司が派遣され、職務を遂行します。

13農家の四季

農家の四季

鍬は最も基本的な農具といえるでしょう。昭和 10 年代に牛馬耕が普及し、昭和 30 年代にトラクターを導入する以前は、「耕す」という行為は鍬一本で行っていました。そのため、用途や土質に応じ、様々な種類の鍬が使われてきました。
水田用のマンガには、乾田用と湿田用とがあり、乾田用のマンガの方が刃が細く、硬い土でも深くうなえるようにできています。湿田は土が軟らかいため、土がこぼれないように刃が太めにできており、もっと深い湿田では平鍬のサクリグワを使用しました。乾田用のマンガは、トラクターを操作できない水田のコバをうなうのに現在も使用されています。

14宿場のくらし

宿場のくらし

東海道の宿駅が発展した背景のひとつに、寛永 12 年 (1635) に制度化された諸大名の参勤交代があります。これにより、東海道の交通量が増大し、街道や宿場が整備され、出稼ぎ、商用、寺社参詣などを目的とした庶民の旅もおこないやすくなりました。
とくに近世後期になると、伊勢参宮を中心とした周遊型の旅行が盛んとなり、旅行者による「道中日記」が書かれるとともに、名所・旧跡や旅での注意事項を記した名所案内書や旅行指南書が刊行されるようになりました。

15講のつどい

講のつどい

講とは、元々仏典を講義する会という意味でしたが、やがてある特定の神仏を信仰する組織や、経済的な互助組織をも指して呼ぶようになりました。
稲荷講は2月初午や2月 11 日に、講中で祀る稲荷や本家の稲荷へ、藁のツトッコに入れた赤いご飯や、油揚げ、尾頭つきの魚を供え、ヤドへ集まりご馳走を食べて過ごします。
念仏講には月並み念仏と法要の念仏があり、月並み念仏は毎月1回、日を定めてヤドで念仏を唱えます。地蔵和讃や御詠歌を唱える所もあります。法要の念仏は、お通夜に枕念仏をあげ、四十九日、一周忌、三回忌などに招かれてお念仏をあげます。

16失われるもの

失われるもの

私たちの周りに存在したもので整備、開発、新設などの過程で「失われたもの」がたくさんあります。整備、開発、新設により私たちの身のまわりは確かに豊かになり、暮しやすくなったといえます。
この二、三十年の間に、私たちの身の周りは海で、山で、川で、街でそして田園で大きく変りました。今後もそうした変化を見守り、失ってはならないものを大切にしていかなければなりません。

17地震と平塚の地盤

地震と平塚の地盤

地震はある日突然おそってきます。断層を境に大地が大きく食い違うと地震が起きます。今後、東海地震や南関東地震などが起こる可能性が叫ばれています。大きな地震があったら平塚はどうなってしまうのでしょうか。どんな被害が予想されるでしょうか。自分たちの住んでいるところが、どんな地形からできているのか、どんな地層からできているのか、今後動く可能性のある断層(活断層)はどこに走っているのかを知っておきましょう。

18都市と生物

都市と生物

このコーナーでは、4月にはタンポポ、6月にはカエル、8月にはセミ、10 月には鳴く虫といったように季節によっていろいろな動植物が登場します。たとえば、夏のセミの場合をみてみましょう。地図のまわりに 30 枚ほどのパネルがついています。このパネル(写真の赤い矢印)にはセミの写真がはさまれ、その種類の名前と市内の地名(青い矢印)が書かれています。その地名を地図の上で探し出し(緑の矢印)、このパネルを動かしてそこに置くというのがこのパズルの遊び方です。

19昭和のくらし

昭和のくらし

平 塚 市 は、 昭 和 20 年(1945)7 月 16 日から 17 日の未明にかけ、米軍のB 29 爆撃機132機による大規模攻撃を受けます。このとき、B 29 から投下された焼夷弾は 44 万本を超え、一夜の投弾数としては全国で二番目といわれます。
ここでは戦時下の平塚と平塚空襲の実像を、市域に残る戦中・戦後の資料から紹介して、平和の尊さや平塚の近現代史を明らかにしています。

20情報コーナー

情報コーナー

情報コーナーには、展示ケースと情報検索端末とよぶコンピュータが置かれています。展示ケースには年三回程度行われる特別展で展示された資料などを一部展示して、終了後も皆さんに見ていただくようにしています。コンピュータは二台置かれますが、それぞれがデータベースサーバと繋がったネットワークを作り、博物館の情報にアクセスする形でいろいろ地域情報に接することが出来ます。
その仕組みはインターネットと全く同じもので、インターネットで使われるインターネットエクスプローラでホームページを見る感覚で出来るのです。

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3階展示室

星のひろば

テーマ:星のひろば

天文・宇宙に関する展示とプラネタリウムがあります。 
 隕石や先代のプラネタリウム投影機、最新の太陽画像などを展示しています。

3階展示室
  • 1プラネタリウム
  • 2先代のプラネタリューム
  • 3天文なんでもコーナー
  • 4いん石-宇宙の情報箱-€
  • 5太陽は今
  • 6SDSS銀河模型
  • 7太陽と太陽系の惑星たち

1プラネタリウム

プラネタリウム

プラネタリウムは、星空を再現する装置です。技術的には、星の配置や運動を再現するものですが、都市部のプラネタリウムには、失われた星空の美しさを再現する機能も求められています。また、増大する宇宙情報を逐次解説し提供する機能も求められ、備えてきました。 プラネタリウムはまた、解説者の存在によって、単なる装置ではなく、宇宙を表現し、それを楽しむ「場」として機能します。平塚市博物館では、毎回学芸員が肉声解説にあたり、その日その日のニーズに合わせ、鮮度の高い情報を提供しています。

2先代のプラネタリューム

先代のプラネタリューム

平成元年から平成22年まで使われていたプラネタリューム投影機G1014の北半分です。

3天文なんでもコーナー

天文なんでもコーナー

ここのコーナーではパソコンで天体の動きや特定の日時の天体の位置、日の出日の入り、月の満ち欠けなどを調べたり、話題になっている天文現象の解説、星や星座の神話などについて調べることが出来ます。また、すばる望遠鏡などの天文台やハッブル宇宙望遠鏡などの天文観測衛星の観測結果などあ得られる PAONET(公開天文台ネットワーク)の情報をもとに、最新の宇宙情報を調べることができます。

4いん石-宇宙の情報箱-€

いん石竏忠F宙の情報箱竏驤€

太陽系が誕生した46億年前、地球は太陽を取り巻くチリの雲の中から誕生しました。その後地球は地殻変動や火山活動を繰り返し、誕生した頃の情報をすっかりなくしてしまいました。一方、小惑星と呼ばれる天体の中には、いまだに太陽系誕生の頃のままでいるものもあります。こうした天体が地球にいん石として落ちてくるのです。ここに展示されたいん石はそれぞれ異なる成因を持っており、太陽系誕生の様子を伝えてくれます。

5太陽は今

太陽は今

晴れた日、大きなモニターテレビに映し出されているのは、屋上で観測している太陽のリアルタイム映像です。それも、太陽から来る Hアルファ線という、赤い光を通す特殊なフィルターで見た、「彩層」と呼ばれる太陽面です。彩層は太陽表面の活動を見るのに都合が良く、黒点を取り巻く活動領域や太陽の縁のプロミネンスがよく見えます。

6SDSS銀河模型

SDSS銀河模型

SDSSによる観測で得られたデータから製作した銀河の分布模型です。

7太陽と太陽系の惑星たち

太陽と太陽系の惑星たち

太陽系の惑星と太陽の大きさ比べです。

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屋外展示

屋外展示
  • 1相模川流域の岩石
  • 2丹沢の岩石
  • 3箱根の神代杉
  • 4珪化木
  • 5チャート(赤碧玉)
  • 6「礎」の碑
  • 7敷石住居跡
  • 8仕込桶
  • 9甕 (かめ)
  • 10大 釜
  • 11「天道大日如来」石塔

1相模川流域の岩石

相模川流域の岩石

 相模川流域は大部分が丹沢山地や御坂山地に位置しています。そのため、河原にはそれらの山地をつくる凝灰岩類(海底火山の火山など)が、良く見られます。こうした岩石は最近の研究では、1500万年ほどまえに伊豆七島のような南の海底での海底火山活動により形成され、その後プレートに乗って運ばれ、本州に衝突して作られたと考えられています。 また、桂川や相模川に沿っては2万年前より新しい富士山の溶岩や泥流が流れています。

2丹沢の岩石

丹沢の岩石

●西丹沢の岩石
(産地:山北町丹沢湖水没域)
●東丹沢の岩石
(産地:清川村宮ヶ瀬湖水没域)
 西丹沢の岩石は酒匂川支流である中川川から、東丹沢の岩石は相模川支流の中津川から、ダム工事中に神奈川県企業庁より提供を受けたものです。いずれも丹沢を代表する岩石で、かつて丹沢が海底火山として活動していた証拠を示す様々なタイプの凝灰岩類と、地下深部に貫入したトーナル岩類(花崗岩類)などからなり、南の海からプレートに乗って移動し、本州に衝突して隆起し、丹沢山地となった大地の歴史を刻んでいます。

3箱根の神代杉(樹齢700年)

箱根の神代杉(樹齢700年)

(産地:箱根町仙石原終末処理場)
(寄贈:神奈川県西湘下水道整備事務所)
約3100年前、神山で水蒸気爆発が起こり、これに伴う崩壊により山崩れ堆積物が早川をせき止め芦ノ湖を出現させました。この神代杉(ヒノキ)はこの堆積物中から産出したもので、芦ノ湖の生い立ちを物語っています。外輪山の丸岳付近から仙石原を見ると、神山が崩壊してできた扇状地地形がよく分かります。大涌谷は、箱根火山の最新の火山活動の名残をとどめています。

4珪化木

珪化木

 (産地:岩手県二戸郡一戸町産)
 (時代:約2000万年前・寄贈:内沢忠三郎氏)
 珪化木は木の幹の細胞中に水に溶けた珪素が入り、内容物と置換し、メノウやオパール化した材の化石です。日本では岩手県や福井県のものが有名で、庭石や置き石に利用されます。岩手県一戸町の珪化木は有名で、「姉帯・小鳥谷・根反の珪化木地帯」として国の天然記念物に指定されています。中でも、一戸町根反(ネソリ)の大珪化木は、セコイア杉の高さ6.4mの大木の化石で、国の特別天然記念物となっています。

5チャート(赤碧玉)

チャート(赤碧玉)

 (産地:新潟県両津市赤玉) 
 (時代:二畳紀~中生代古期・寄贈:内沢忠三郎氏)
 チャートは放散虫という珪質な微化石が深海底で堆積したものです。鉱物的には、微細な石英(玉随)よりなり、多量の酸化鉄を含んで赤みを呈します。佐渡のチャートは緻密な朱赤色の色調が特徴で、佐渡赤玉石として観賞用飾り石や水石、庭石として珍重され、昭和40年頃まで採石されました。現在庭石としてよく利用されるチャートは、秩父中古生層と呼ばれる地層(秩父帯)に含まれるチャートで、群馬県鬼石町三波川などで採取されたものです。

6「礎」の碑

「礎」の碑

 「礎」の碑は、1949年5月24日に開催された学校定礎式で、平塚市立の各学校に贈られた。書は田中真洲の揮毫で、本礎は平塚市立商業高等学校のものである。学校定礎式は学校の戦災復興と新制中学建設にともなうもので、当時、平塚市立であった学校では、現在も残っているものもある。

7敷石住居跡

敷石住居跡

 (岡崎・上ノ入遺跡より移築)
 昭和51年に岡崎小学校新築工事に伴う発掘調査を博物館で行いました。その時に発見された縄文時代後期の敷石住居跡を博物館の庭に移しました。この移築作業には遺跡の調査をお手伝いして下さった岡崎の西海地稲作研究会の会員の方も加わって、手作りで再現しました。
 総重量が約1トンもある石は輝石安山岩(根府川石)ですが、縄文人はどのような方法で運んできたのでしょうか。丸木船を使ったと考えますが、直接取りに行ったのか、交易品として運ばれてきたのかまだ謎です。
 一般に敷石住居は関東地方西部から中部地方に多く見られ、縄文中期後半に出現し、後期前半に最盛期を迎えます。この住居の成立過程は、敷石の一部に石柱・石壇が設けられる例もあり、これに埋甕を埋設した小さな張り出しをもつ住居が出現し、その後、全面敷石と張り出し部の発達によって、柄鏡形敷石住居と呼ばれる特異な形態の住居が出現したと考えられています。この住居の性格は祭祀的特殊施設とする考え方と一般住居の一形態とする考え方がありますが結論は出されていません。
 なお、上ノ入遺跡では縄文後期の配石遺構や中期の住居跡群(有孔鍔付土器や炭化球根出土)も確認されています。

8仕込桶

仕込桶

 市内四之宮の漬物屋で使われていた桶です。大きさは直径、高さとも約2mあります。およそ30石(約5,400リットル)入りで、底板の厚みは10cmくらいです。30石とは300斗のことで、一升瓶3,000本分の容量です。造り酒屋や醤油屋でも同じような桶を仕込桶として用いました。

9甕 (かめ)

甕 (かめ)

 昭和20(1945)年以前、毎軍火薬廠にて薬品の貯蔵に用いられていたという甕です。海軍火薬廠は、明治38(1905)年設立の日本爆発物製造株式会社を、大正8(1919)年に海軍が買収し、海軍兵器の爆薬や火薬を製造していた軍需工場です。総合公園や博物館も火薬廠の敷地で、博物館北側のユリノキの巨木は、火薬廠時代からのものです。

10大 釜

大 釜

 市内万田の造り酒屋、出縄酒造で使用していた大釜です。上に甑をのせて湯を沸かし米を蒸すのに用いられました。蒸米に椛と水を加えて桶へ仕込み、発酵させ、これを絞ったものが清酒になります。釜は三州釜といい、愛知県で製造されたもので、醸造用具の機械化により使用されなくなりました。

11「天道大日如来」石塔

「天道大日如来」石塔

 当館蔵(山下 近藤知行氏 寄贈)天保6年(1835年)
元は市内山下の県道に面して建てられ、のちに道路拡幅のため下山下の近藤家屋敷内へ移された石塔である。「おてんとうさま」と呼ばれ、塔身中央に「天道大日如来」の文字と大日如来の種子アーンクが彫られている。塔身左面に願主として近藤惣兵衛、台座左面には念仏講中20名の氏名が刻まれており、日乞いの天道(てんとう)念仏が山下で行われていたことを推測させる。尊名は太陽信仰と大日如来との結びつきを示す。

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「はくぶつかん たんけん」子ども向け展示ガイド

階展示室かいてんじしつ相模川流域さがみがわりゅういき自然しぜん文化ぶんか

階展示室かいてんじしつ地域ちいきをさぐる」

階展示室かいてんじしつほしのひろば」・そのほか

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