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相模川の生い立ちを探る会 2003年5月

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「相模川の生い立ちを探る会」 活動の記録

第138回 2003年5月18日 秦野盆地


■秦野盆地湧水群と渋沢鉱山
○コース :秦野駅〜尾尻水源〜今泉湧水池(太岳院)〜白笹稲荷〜震生湖〜渋沢鉱山

 4月のガイダンスで申し合わせた「従来以上に会員の自主性を高め、活動を充実したものにしよう」に沿って、午前・午後の正副班長、サンプル係・写真係の役割を確認して、調査記録用紙を全会員に配布して始まりました。今回の観察ポイント次の3点でした。
① 秦野盆地の湧水群の地形・地質との関係を観察する
② 関東大震災の斜面崩壊により誕生した堰き止め湖である震生湖の観察
③ 石膏鉱山として、かつて採掘が行われていた、「渋沢鉱山」の観察と鉱物採集
 まずは、秦野盆地の成り立ちを念頭に置き、扇状地という地形に起因した湧水群を観察しました。観察地である秦野駅から今泉付近は、扇状地の末端部にあたり、太岳院湧水・寿徳寺湧水などの扇状地末端に位置する湧水、荒井湧水・諏訪下湧水などの扇状地の小さな谷戸沿いにある湧水、また、白笹稲荷のような、ローム層の下の段丘礫層から湧く湧水などの他、自噴井も見られ、湧水が地形・地質と大きく関係している事が分かりました。
 次に、渋沢丘陵に上がり、震生湖に向かいました。震生湖は1923年9月1日に起きた関東大震災により丘陵の南南西斜面が幅150m、高さ約30mにわたり大崩落を起こし、市木沢を堰き止めて生まれたもので、当初、南湖・西湖に分かれていたようです。震生湖に下りる道路東側のゴルフ練習場には、この崩壊地形が残っています。さらに西に向かうと丘陵の北斜面、小原地区の南斜面にいくつかの崩壊地形が見られ、関東大震災による斜面崩壊が、震生湖だけでなく、いくつもあることが確認できました。また、丘陵上の道路床面に白い軽石と黒いスコリアが見えるところがあり、宝永噴火の降下物(1707)と分かりました。
 この丘陵からの眺望は、大変素晴らしいものです。北側には秦野盆地が一望でき、扇状地地形が眼下に広がります。その向こうには丹沢山地の山並みが連なり、西は伊勢沢の頭から雨山・鍋割山、表尾根主峰の塔ノ岳、木の又大日・新大日・行者岳・三ノ塔・二ノ塔・大山と続きます。また、南側では大磯丘陵が一望できます。
 渋沢のトンネルを抜けた道路際の露頭では、火山礫凝灰岩が見られ、丹沢層群の地層に変わった事がわかりました。その後、峠集落南の市見沢沿いの渋沢鉱山跡に向かいました。渋沢鉱山は、昭和10〜23年(1935〜1948)頃まで石膏を中心に採掘していたということで、最盛期(昭和13年頃)には年間2000トンを生産したと言われており、坑道が数カ所見られました。この峠地区は渋沢断層で乗り上げた側にありますが、丹沢山地と続いた地層であり、石膏は丹沢層群 本谷川層 本谷凝灰岩に属するデイサイト質火山礫凝灰岩の中に存在し、凝灰岩堆積当時の海底の熱水活動によって形成されたものといわれます。川に下りると、右岸の壁面に熱水により脱色し白色粘土化した地層が見られます。その粘土が河床の水に洗われ、川の中で鉱物が光っています。白色粘土の中からは石膏に混じって黄鉄鉱や高温石英が採集でき、粘土を洗ってみると、1〜2mmのキラキラ光る黄鉄鉱やコロッとした高温石英を集めることができました。黄鉄鉱をよく観察すると、正八面体・5角12面体のものなどさまざまな形をしています。会員それぞれ、おみやげを持ち帰りました。(MI.)

駅前の湧水 寿徳寺湧水
▲秦野駅前にある荒井湧水から導いたせせらぎの流れを観察する ▲寿徳寺湧水水源を見つける。手でさしているところから地下水が湧きだしている
太岳院湧水 震生湖の崩壊地形
▲太岳院の池は湧水がわいてできたもので、秦野盆地湧水群の一つ。 ▲震生湖は大正関東地震の際に、ゴルフ練習場裏の崖が崩壊して生じた。
地滑り地形 渋沢鉱山の坑道
▲関東大震災の時にできた地滑り地形を観察し、記録を取る ▲渋沢鉱山の坑道の跡。かつて石膏を採掘した。
渋沢鉱山跡での観察 黄鉄鉱を探す
▲鉱山跡の川沿いの露頭から石膏や黄鉄鉱を探す ▲河床の粘土をふるいでふるうと黄鉄鉱が見つかる

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