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須賀の魚売り

食の民具たち 平成16年冬季特別展 (2 桶と甕)

須賀の魚売り

図録 平成16年1月発行

 魚行商人をボテイといい、県内漁村の行商人のうち最も広い商圏を持っていたのが現在の平塚市港地区、旧須賀村のボテイである。須賀のボテイは、相模川流域一帯に得意先を持ち、遠くは大月市猿橋あたりまで行商に出掛けることもあった。古くは天秤棒に魚籠をぶら下げ、厚木あたりまでは一時間ぐらいで走っていき、遠隔地は泊まりがけで行った。市内の農家は、須賀のボテイが頻繁に訪れるだけでなく、市の西部は大磯のボテイも回っていたので、内陸部に比べ魚を食べる機会は多くあった。昭和に入ると自転車の荷台に魚箱をいくつも積んで出掛けるようになり、民家の玄関先で魚を商い、まな板で魚をおろす様子がつい近頃まで見られた。行商をやめたボテイたちは、得意先に店を構えたりしたので、流域には須賀出身の魚屋が少なくない。
 興味深いのは、婚礼料理の一切をボテイが承り、泊まりがけで料理番を務めたことである。魚料理はもちろん、写真74のような大鍋を用いてキントンやヨウカンまでこしらえた。祝言に用いるお膳やお椀をボテイが持参する場合もあり、ボテイの家では膳椀一式を取り揃えてあった。ただし、ボテイが婚礼料理を受け持つようになるのは大正時代頃からのようで、それ以前は村の中で料理の得意な人を頼んで作ってもらうことが多かった。
須賀村(すかむら) 祝言(しゅうげん)






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