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発見!ひらつかの民俗
第12回 民家を訪ねて(2011年11月25日・2012年3月27日 調査)
御殿の露木博さんのお宅へ民具の収集におうかがいした。収集した民具のなかで、注目されるのはオハチと釜。オハチは表面に紙が貼ってあるのが珍しい。紙を貼ることで丈夫になり、さらに湯気が抜けにくくなって温度が保たれる効果があるという。釜は二升炊きのアルミ釜で、穴の空いた箇所を鋳掛屋(いかけや)に補修してもらった跡がよく残っている。どちらの民具からも工夫して物を大切に使い続けてきたことがうかがえる。
▲オハチ | ▲補修跡のあるアルミ釜 |
屋敷には井戸がある。庭の水撒きに使う他、屋内に引いて炊事や風呂に使用している。露木さんは今も井戸水を沸かして飲んでいる。水道水でお茶を入れると赤くなり、井戸水だと黄色くなるという。水道が引かれた当初の水は薬品臭くて飲まなかったという。
餅米と赤飯を蒸かすには火燃し場のカマドを使っている。燃料は薪である。薪で焚くとガスと比べ、赤飯の出来がぜんぜん違うという。井戸にしてもカマドにしても、便利さばかりを追いかける生活では味わえない、昔ながらの暮らしの良さがある。
▲火燃し場のカマド | ▲火消しつぼも現役 |
屋敷には大正13年に建てた旧宅がそっくり残っている。関東大震災で家が潰れ、その翌年に建てた家である。大きさは間口五間半×奥行四間で、のちに増築して間口七間半となっている。間取りはザシキ、オク、カッテバ、ヘヤの四部屋と土間で構成されている。増築部分は風呂場と台所で、以前は土間で炊事をし、カッテバにちゃぶ台を置き、板の間にゴザを敷いて食事をした。風呂場は屋外にあった。
▲旧宅の外観 |
▲部屋のようす |
当初、天井はザシキとオクにしか張っていなかった。寒くて仕方がないので、昭和30年頃に他の部屋にも天井を張った。それでも板の間や屋根と壁の隙間から風が入ってきた。隙間には新聞紙を詰めるなどして防いだ。暖房はザシキに長火鉢があるだけだった。
▲廊下 | ▲屋根と壁の隙間に詰めた新聞紙 |
夏は快適だった。ザシキとカッテバを仕切る戸は、ザシキ側から見ると格子戸だが、カッテバ側は障子がはめ込まれている。表と裏で雰囲気が変わり、たいへんしゃれている。この障子は、一段ずつ取り外すことができ、夏はいちばん上の段だけ外して風を通した。
▲ザシキ・カッテバ境の千本格子戸(表と裏) |
民家の建築や住まい方については、実際に見せていただきながらお話を聞くのが何より勉強になる。昭和の匂いがいっぱいに詰まったこの家を快く案内してくださった露木さんにお礼を申し上げます。
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