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ひらつか歴史紀行 |
第47回 近世平塚の領主 その4(年貢その1) (2014年8月号)
前回は平塚を支配した領主の家計についてみました。
今回はその領主の家計を支えた年貢について見てみたいと思います。年貢は近世の百姓が領主に上納した税です。年貢は田畑の検地によって決定された村の生産高(石高)に一定の税率をかけて決められます。その課税方法には、過去数年間の平均収穫高をもとに数年間一定の税額を定めた定免法(じょうめんほう)と、毎年収穫高を調べて税額を決める検見法(けみほう)がありました。年貢は村を単位に賦課され、領主から発行される年貢割付状にもとづき、村の責任において納められられました。
年貢割付状は領主が村に年貢の納入を命じた令状で、その内容が記されています。それでは実際に年貢割付状を見てみましょう。
下の写真は北金目村のうち旗本三枝氏領における寛延元年(1748)の年貢割付状です。年貢割付状には最初に領地の全石高(264石7斗7合5勺)が記され、次に耕地が田と畑屋敷とに分けて記され、それぞれ年貢からの控除高(後述)を記載したうえで年貢額が記されています。田方年貢は177俵5合7勺1才、畑屋敷年貢は永16貫392文8分3厘(約16両1分2朱)となっています。なお、田は石高に、畑屋敷は面積に応じて年貢がかかり、田と畑屋敷で年貢の賦課基準が異なっています。また、末尾に「当辰年より申年迄物成定免」とあり、年貢はこの年から申年まで5年間一定の年貢率で収納される定免法であったことがわかります。
寛延元年(1748)8月 年北金目村定免割付状(三枝領) (北金目 寄託文書) |
さて、年貢からは諸事情により差し引かれるものがありました。下図は上記の年貢割付状にみられる田方年貢の内訳です。田方年貢の年貢率は「三ツ九分弐厘(39.2%)」となっていますが、これは「井堀敷(井戸や用水堀などの敷地となった場所)」と「砂置場(宝永富士噴火の降砂の置場)」という耕作不能地の石高を控除したうえでかけているので、田高全体からすれば実際は37.7%の年貢率になります。結果として67石7斗8升8合(=194俵5合7勺1才)が「取米」=年貢となりました。しかし、この「取米」からは、さらに「伝馬扶持(道中奉行の与力・同心の扶持米)」と「名主給分(名主への手当)」が引かれ、実際に領主が手にする「納米」は「取米」の9割(177俵7勺1才)となりました。
寛延元年(1748)北金目村三枝領の田方年貢の内訳 |
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※「取米」67石7斗8升8合に「下畑田成(田地になった畑からの収穫)」1斗2升6合6勺6才が付加されている |
【参考文献】
春期特別展図録「近世平塚への招待-館蔵資料で見る23題 2005年
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