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第24回 相模川・相模湾水運と須賀村の繁栄 その4(相模川の三番所と相模川の水運) (2011年3月号)


  前回は江戸幕府成立後の経済発展を背景とした相模川・相模湾水運の発展と、それにともなって発生した湊争論を紹介しました。今回は相模川に設置された番所の紹介を通して相模川の水運を考えてみたいと思います。

  近世の相模川には川を往来する人や荷物を取り調べる番所が三つありました。上流から(1)甲斐国都留郡上野原村(山梨県上野原市)にあった諏訪番所、(2)相模国津久井県若柳村(相模原市緑区)にあった奥畑番所、(3)相模国津久井県太井村(相模原市緑区)にあった荒川番所です。
 (1)諏訪番所は戦国時代に武田氏が小田原北条氏などからの防備のために設置したのが起源とされます。武田氏滅亡後は天正10年(1582)に徳川家康が甲斐国郡内地方(山梨県東部地域)を領した鳥居元忠へ武田時代の通りに取締まるよう命じたといわれます(『上野原町誌』下巻)。この時の番所の詳細は不明ですが、近世初頭の郡内地方からの川下げの取り調べは上野原宿本陣の加藤氏が担っていたといいます(『上野原町誌』上巻)。その後、宝永4年(1707)に番所は相州との国境付近の台地の東端、境川近くに移転しました。そのため諏訪番所は境川番所ともいわれます。諏訪番所は本来、甲州街道を往来する旅人の取り調べが任務でしたが、郡内地方から川を下って出される材木や高瀬船の積荷を検査し、関税ともいえる「冥加永」を徴収する業務もおこなっていました。
 (2)奥畑番所は税を徴収する諏訪番所・荒川番所とは異なり、筏や高瀬船の乗員を取り調べるのが任務でした。その起源は正保4年(1647)、郡内地方を領した谷村藩が郡内から出される船・筏の乗員の取り調べを若柳村(相模原市緑区)の鈴木弥次右衛門らに依頼したことに始まります。弥次右衛門らは当初、郡内から川下げされる筏・船は「少々」のことであるとの谷村藩の説明を受け、番所の役を引き受けました。しかし、「其以後、筏段々多く通」るようになったため、負担が増え、役の免除を願い出たところ、谷村藩から年5両の礼金を出すことで正式に若柳村で番所の役を勤めるようになったといいます(神奈川県立公文書館蔵若柳村文書)。しかし、宝永2年に郡内地方が幕領になると、礼金が下付されなくなったうえに役の免除も許されず、そのため取り調べ役人の欠勤がしばしば問題になりましたが、奥畑番所は幕末まで続きました。
 奥畑番所の設置とその後の筏の流通量の増大に起因する諸問題からは郡内地方の経済的発展を背景とした相模川水運の発展がうかがえます。

荒川橋之図
「荒川橋之図」(『新編相模国風土記稿』)
中央に荒川番所の建物が描かれている。手前に見える橋は中沢村と太井村を結び相模川にかかる荒川橋。荒川橋は冬から春のみにかけられ、ほかは渡船で結んだ。荒川番所があった場所は現在、津久井湖に沈んでいる。

 (3)荒川番所は寛文4年(1664)、津久井地方が幕領から関宿藩久世氏領に代わった際に設置され、一時期を除き、幕末まで続きました。荒川番所の最も重要な任務は「五分一運上」と呼ばれる税の徴収でした。これは津久井地方で産出され、相模川を下る諸商品の公定値段の5分の1にあたる額を税として徴収するものです。荒川番所の設置の経緯を記した史料は見当たりません。しかし、その背景には明暦の大火(1657)を契機とした江戸の都市域の拡大などによる材木需要にともなった津久井地域の経済的発展があったのではないでしょうか。関宿藩はそこに目をつけ徴税のための番所を設置したのではないでしょうか。
 なお、郡内地方から川下げされる荷物には諏訪番所で税が徴収されましたが、その際、諏訪番所はその荷物が荒川番所で二重に課税されないために「荒川御改所通し手形」を発行しました。郡内地方で産出・出荷される荷物は諏訪番所で、津久井地方で産出・出荷される荷物は荒川番所でそれぞれ徴税する仕組みになっていました。
 さて、これら三番所の設置の動向からは、相模川の水運が近世に入り流通量を増加させ、領主に人・物の動きの把握とそこへの課税の必要性を感じさせたことがうかがえます。前回の須賀・柳島の湊争論と同様、江戸の都市的発展にともなう物流・経済の発達がその背後にあったと考えられます。さらに、近世中期になると、八王子方面からの大山参詣者などが高瀬船に乗船し、相模川を下るようになります。

【参考文献】
 2009年度秋期特別展図録「山と海を結ぶ道 相模川・相模湾の水運」
 西川武臣「近世の相模川・相模湾水運―津久井・須賀・柳島・神奈川―」(『平塚市博物館研究報告 自然と文化』33号 2010年)
 早田旅人「近世相模川・相模湾水運における須賀村の位置」(『平塚市博物館研究報告 自然と文化』36号 2013年)

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