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最終更新 2005年3月

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凝灰岩類2 (鎌倉石・房州石)

鎌倉石の石垣接写 鎌倉石の丁場跡
鎌倉石の石垣 (凝灰質砂岩) ▲鎌倉石の丁場跡
  鎌倉市産, 鎌倉市長谷2丁   鎌倉市山ノ内
  三浦層群 池子層 
  鎌倉石は、この鷹取山の地層の西方延長部にあたる池子層から切り出した石材で、黄褐〜褐〜青灰色の凝灰質粗粒砂岩や、軽石に富む凝灰質砂岩からなっています。鎌倉市今泉・山ノ内・二階堂・浄明寺・深沢・越越・目白山下・藤沢市片瀬山等で、昭和初期まで採掘されたといわれます。鎌倉石は鎌倉時代から利用されたといわれています。
 比較的軟弱で加工が容易であり、耐火力が強い特徴があります。粗い安山岩質凝灰質砂岩で軽石が多くみられます。鎌倉周辺の社寺の石段・土台石に見られる他、平塚市域では袖ヶ浜や根坂間などに一部残っています。
鎌倉石の塀 鎌倉石の石垣
▲鎌倉石の塀(スコリア質砂岩・スコリア質凝灰岩) ▲鎌倉石の石垣
  平塚市根坂間   鎌倉市長谷2丁目 神社
房州石の石垣 鎌倉石の灯籠
▲ 房州石 (凝灰質砂岩)
  刷毛で掃いたような模様が特徴
▲鎌倉石(スコリア質砂岩)の灯篭
   千葉県鋸南町鋸山産   平塚市達上ヶ丘 県立平塚農業高校
  上総層群竹岡層   三浦層群 池子層
房州石の塀基礎 房州石の採石場
▲ 房州石の塀基礎
▲房州石の採石場(地獄のぞき)
  平塚市千石河岸   千葉県鋸南町鋸山  
  上総層群竹岡層及び黒滝層・三浦層群萩生層・保田層群   上総層群最下部竹岡層
  房州石は房総半島中南部から切り出された凝灰質砂岩ないし粗粒凝灰岩の総称で、産地により元名石・金谷石・堤ヶ谷石・本胡麻石などがあります。現在では全く採石されていません。今までに記録のある房州石の産地を調べると、堆積年代の異なる三つの地層(上総層群竹岡層及び黒滝層・三浦層群萩生層・保田層群)に区別できます。
 房州石は鋸山山頂付近の竹岡層のものが一般的です。竹岡層(同時期の地層である黒滝層を含む)は、鋸山山頂付近や富津市海良〜君津市黄和田畑〜勝浦町鵜原にかけて分布しています。鋸山は向斜構造(船底型の地質構造)の軸部にあたり、周辺部より粗い凝灰質砂岩からなる竹岡層の侵食速度が遅いため、取り残されて東西に伸びる丘陵を作っているものです。この鋸山山頂付近の金谷石や元名石が房州石の最良品で、比較的石目が細かく揃っています。スコリアが斜交葉理となって並び、刷毛ではらったような模様を呈するものが特徴です。桃白色の粗い軽石が点在する桜目と称されるものもあります。全体的には、房州石は黒色スコリア・白〜灰〜黄〜桃軽石・岩片を多量に含む凝灰岩ないし凝灰質砂岩で、比較的軟弱で風化しやすいものですが、耐火性があります。 
房州石の接写 房州石の土蔵
▲ 房州石(桜目) (軽石質凝灰岩 ) ▲ 房州石(桜目)の土蔵  
   千葉県富津市金谷   千葉県富津市金谷
  上総層群最下部竹岡層
  用途としては、土台石・倉庫・石垣・石塀・土木用・外壁・かまど用に利用され、利用例としては横浜高島桟橋基礎・港の見える丘公園石垣・早稲田大学石塀・靖国神社塀下などがあります。平塚市域では千石河岸の一角の石塀に残っています。
 鋸山の房州石は、安政年間に伊豆の石切職人が始めたといわれ、万延・元治・慶応期に良質の石(上石という)の採石が盛んになり、石切場が鋸山本峰に移ったとされます。1895年から横浜港開発に伴い、護岸土木材料として大規模に採取され、明治期には京浜〜横浜・横須賀方面へ大量に切り出されました。当時、金谷の総人口の80%が、石材業に従事していたといわれます。現在残っている鋸山山頂付近の丁場跡は、かつての石材業の繁栄を物語っています。大正期にセメントの需要の増加と共に下火になり、1985年を最後に採石が中止されました。
 三浦層群萩生層は三浦半島の池子層に相当するもので、神奈川県では鎌倉石・池子石・鷹取石として知られている石材と同時代のものです。
スケールバーは1cm


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