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1923年関東地震の被害

平塚市博物館公式ページ

最終更新 2007年12月

1923年関東地震の被害



■1923年関東地震
 1923年(大正12年)9月1日11時58分、相模湾を震源として発生した大地震は関東南部を襲い、関東大震災と呼ばれ、東京都・神奈川県・千葉県・静岡県に未曾有の被害をもたらしました。190万人が被災、10万5千人余が死亡ないし行方不明とされ、建物被害では全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟といわれています。強風を伴なった火災による死傷者が多く、本所被覆廠跡では4万4千人が亡くなりました。平塚市域では、死者476名、家屋全壊4192戸に及びました。
 津波による被害は相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、熱海で高さ12m以上の津波が記録されました。山崩れや崖崩れ、土石流に伴なう被害は丹沢山麓などで数多く発生しました。特に根府川で起こった山津波は根府川の集落を埋没させ、根府川駅では列車を海中に転落させました。
 神奈川県の家屋倒壊率(下図)を見ると、震源に近い小田原の酒匂川下流域と、平塚北部〜厚木南部にかけて全壊率が高くなっています。これは平塚南部の砂州砂丘地帯より、自然堤防地帯の方が軟弱地盤が厚いことを反映したものと考えられます。
 この地震により、相模湾岸の房総半島南部・三浦半島・大磯丘陵南部で1m以上隆起し、丹沢では1m以上沈降しました。大磯町照ヶ崎の磯はまさにこの地震で隆起したものです。最近の研究では、本震は連続した2つの地震からなり、最初に小田原の直下で発生し、10〜15秒後に三浦半島の直下で発生したといわれます。その後、5分間の間にさらにマグニチュード7以上の余震が2つあったと考えられています。この地震はフィリピン海プレートの沈み込み境界で発生したものでした。
■震生湖の誕生
 2004年新潟県中越地震で旧山古志村の芋川が地滑りにより堰き止められて出現した湖は記憶に新しいことでしょう。秦野市と中井町境にある震生湖は1923年関東地震の際に中村川の支流である藤沢川最上流部の市木沢南斜面が200mに亘って崩壊し、沢を埋めてできた日本で2番目に新しい湖です。秦野の震生湖の地滑りは俳人でもあり地球物理学者でもあった寺田寅彦により報告され、その跡は現在、ゴルフ練習場内の崖でみることができます。
■関東地震の再来周期
 相模トラフを震源とする巨大地震には1923年の大正型地震と1703年の元禄型地震との二つのタイプが知られています。前者は相模トラフを震源とし、房総半島南部から大磯丘陵を隆起させる地震であり、後者は房総半島沖が震源で、房総から三浦半島を隆起させるものです。再来周期については、大正型地震で数百年、元禄型地震で2000年程度と考えられています。関東地震の再来については、国府津−松田断層の活動や大磯丘陵の隆起と絡んで、考えられています。

液状化による馬入川鉄橋の崩壊 国府津二宮間の線路の被害
▲液状化による馬入川鉄橋の崩壊 ▲国府津二宮間の線路の被害
平塚大門通りの被害 関東地震で生じた震生湖
平塚大門通りの家屋被害
▲関東地震で生じた震生湖
関東地震の家屋倒壊率
1923年関東地震の神奈川県内の家屋倒壊率(平塚市博物館1978)


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