地球科学野外ゼミ 第17回 野外:酒匂川~山王川河口 【海岸地形と砂鉄】

「地球科学野外ゼミ」活動記録

第17回 2019年11月16日(土) 野外:酒匂川~山王川河口 【海岸地形と砂鉄】



■ コース:酒匂中学バス停→酒匂川河口原点200m→酒匂川河口右岸→東町海岸→小田原宿江戸方見附跡(山王口)→蓮上院土塁→山王川河口 右岸側

▲酒匂川河口右岸側の砂浜(小田原市東町)。海の向こうには大島がかすかに見えます。


 今回は、今年度のテーマである「湘南の砂鉄」にのっとり、酒匂川以西の海岸にみられる砂鉄の量や分布を調べると共に、周辺の海岸地形、史跡などを観察するのが目的でした。
 酒匂川左岸の酒匂中学バス停に集合した後、途中を観察しながら西の酒匂川方面へ向かって進みました。
 小田原市酒匂では、酒匂遺跡群が発見されており、古代から中世の鉄に関する遺構が見つかっています。集合地点付近は、そのうちのひとつである北川端遺跡の近くにあたり、この遺跡では17~18世紀の大量の鉄さい(製鉄の際に出る不純物)や、ふいごの羽口が見つかっていることから、中世の鍛冶集落の証拠とされています。酒匂地区では、古墳時代前期の遺構からも鉄さいが出土しており、周辺で古くから鍛冶が行われていたことが分かります。酒匂地区で古くから鉄生産が行われていたのは、同地域が酒匂川や相模湾に近く、製鉄原料となる砂鉄や燃料となる木材を容易に手に入れることのできる場であったことが理由のひとつと考えられている(小田原市教育委員会, 2016)とのことです。
 酒匂川左岸で酒匂の渡し碑を、川を渡った右岸で砂丘上に建つ新田義貞の首塚などを観察した後、酒匂川右岸側の海岸に出ました。台風で大きく浸食された痕跡が残る海岸の中でも、より陸側の砂の表面に、砂鉄がうっすらと観察できました。一方海岸線に近いあたりは礫や粗い砂が多く、砂鉄は観察できませんでした。これは、海岸線に近いところの砂は波によって常に動かされる環境であるため、比重が重く粒子サイズの小さい砂鉄が、表層から地下深くへと移動してしまったためと考えられます。

▲酒匂川左岸にある酒匂の渡し碑。 ▲酒匂橋からみた酒匂川。酒匂川はおおむね現在のプレート境界上を流れており、川を境に右岸側はフィリピン海プレート、左岸側は北米プレート(大陸プレート)になります。
▲酒匂川河口原点から0.2 ㎞の地点。左下に国土地理院が設置した標識があります。ちなみに河口原点(0.0 ㎞地点)は、ほぼ海中に位置しています。 ▲酒匂川河口右岸側の海岸にみられる砂鉄(黒色部)。風で砂が運ばれてできた凹凸(風紋)の、凹部に濃集しています。

 その後、酒匂川河口から西に向かいながら、海岸の砂鉄の様子や、海岸の地形、海浜礫を観察しました。山王川河口の左岸周辺では、その日観察した中で最も砂鉄が濃集している様子が確認できました。この場所は海岸と、その北側の町側とをつなぐ地下道の口にあたる場所で、風が強く通り抜けていることから、風によって軽い石英などの粒子が吹き飛ばされ、重い砂鉄がその場に残った可能性があります。
 小田原宿の江戸口見附(山王口)跡や蓮上院土塁を観察したのち、山王川右岸の海岸で解散しました。本来もうちょっと東へ行くつもりだったのですが、続きはまた次回ということになりました。


▲山王川左岸からやや東側の砂鉄の濃集部。 ▲すこし内陸に入って蓮上院土塁を観察。豊臣秀吉による小田原城攻めに対し、小田原北条氏が築いた総構の一部で、ここより少し東を流れる山王川に平行に築かれているようにみえました。

参考文献:小田原市教育委員会編, 2016, 酒匂遺跡群 ― 砂丘上に広がる酒匂川左岸の遺跡 ―. 小田原の遺跡探訪シリーズ11, 小田原市教育委員会.
写真撮影:地球科学野外ゼミ会員

活動の記録へ戻る