地球科学野外ゼミ 第15回 2019年9月29日(土) 野外:野比海岸【三浦半島の活断層と砂鉄】

「地球科学野外ゼミ」活動記録

第15回 2019年9月29日(土) 野外:野比海岸【三浦半島の活断層と砂鉄】



■ コース:YRP 野比駅→野比海岸→北武断層破砕帯→野比東ノ入公園

▲黒い砂浜が特徴的な野比海岸。


 今回は、稲村ケ崎に並んで県内でも有数の量とされる野比海岸の砂鉄と、三浦活断層帯の一つである北武断層を観察するのが目的でした。北武断層は、約450~820万年前の深海堆積物である三浦層群逗子層(北東に分布)と、1500~1800万年前の深海の砂岩、泥岩、深成岩などからなる葉山層群(南西に分布)とを境する活断層で、巨大地震の震源断層として注目されています。

 当初の予定では、YRP野比駅からバスで野比中学校前に行く予定でしたが、天候不順のため予定を変更し、最初に駅から南に歩き、海岸へ向かいました。
 野比海岸に出てから、露出する地層と海岸の砂鉄を観察しながら東へ向かいました。海岸で最初にみられたのは、三浦層群逗子層の泥岩層でした。相模湾で最も砂鉄が多い稲村ケ崎海岸にも逗子層がみられましたが、そちらと比べると、野比の逗子層は、同じ泥岩でも粒度がやや粗くシルトサイズである事、間に挟まる火山灰層が少ない事、貝などの化石を多く含む事、海底地すべりでできたと思われる地層の乱れ(スランプ構造)が数か所で見られる事などが、違いとして挙げられます。特に、砂鉄の給源となりそうな火山灰層がほぼ見られなかったことは重要な点でした。
 一方、砂浜の砂鉄については稲村ケ崎ほどではないものの、砂浜の表層数㎝に砂鉄を多く含む青光りした層が濃集している場所が何か所かで見られ、かなりの砂鉄量であることが分かりました。砂鉄をくわしく観察したところ、稲村ケ崎の砂鉄より細かい粒(細粒砂サイズ)であることが分かりました。その原因としては、稲村ケ崎とは砂鉄の起源が違い、砂鉄が集まるメカニズムの違い、砂鉄の給源からの距離の違いなどが考えられます。

▲野比海岸の逗子層。主に深海で堆積した泥からなる岩石で、薄い砂岩の層が何枚も挟まっています。 ▲砂鉄で青光りする野比海岸の砂浜。

 さらに東へ進むと、逗子層より古い葉山層群の泥岩が現れました。葉山層群は、逗子層よりもはるかに硬く、きめ細かい泥岩からなっていて、容易に区別できました。ここで葉山層群が見られるということは、YRP野比からこの地点の間に断層がある事を意味します。しかし、ここよりさらに東にある北武断層は、それを境に西の葉山層群と東の逗子層を分ける断層です。このことから、北武断層より西に、葉山層群と逗子層とを境する、もう一つの断層がある事を意味します。断層そのものは砂で埋もれて発見できませんでしたが、北武断層の枝分かれ断層の可能性があります。


▲逗子層よりも古い泥岩からなる葉山層群の露頭。 ▲断層により地層が破砕されているゾーン(断層破砕帯)。海岸沿いの逗子層の露頭で何か所か確認されました。北武断層より西に、より小規模な断層が複数ある事が分かります。
 さらに東へ進むと葉山層群の深成岩がぐちゃぐちゃに破砕されている場所がありました。ここが北武断層による破砕帯(断層によって岩石が揉まれて粉砕されたゾーン)でした。破砕帯では、蛇紋岩やその元になるカンラン岩などの、海洋地殻をつくるマントル物質起源の超塩基性岩が粘土のように変化していました。これは、北武断層によって葉山層群中の超塩基性岩が破砕され、その際の温度と圧力で粘土鉱物に変化してしまったためです。
 葉山層群の中でも超塩基性岩である蛇紋岩中には、微小な磁鉄鉱やチタン鉄鉱が含まれることが分かっており、野比海岸の砂鉄の起源はこの蛇紋岩である可能性もあります。また、砂鉄が濃集している箇所は、岸壁が海側に張り出しているような場所に特に顕著なようであったことから、海岸線に平行な海流で流された砂鉄が、流れの弱まる場所で堆積しているのではないかと想像されました。

▲北武断層の断層破砕帯。地層がもろくなっているため、護岸の補強がされています。 ▲断層破砕帯の石を皆で観察。崖の暗緑色の部分が、破砕された蛇紋岩からなる部分です。

写真撮影:地球科学野外ゼミ会員

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