地球科学野外ゼミ 第12回 2019年5月18日(土) 野外:極楽寺川【鎌倉砂鉄の起源と前弧海盆堆積物】

「地球科学野外ゼミ」活動記録

第12回 2019年5月18日(土) 野外:極楽寺川【鎌倉砂鉄の起源と前弧海盆堆積物】



■ コース:稲村ケ崎駅→稲村ケ崎→針磨橋→由比ガ浜海岸→光則寺→極楽寺切通→極楽寺駅

▲白い逗子層の露頭の上に黒い砂浜が広がる(稲村ケ崎海岸)。


 今回は、鎌倉の一部の海岸に濃集している砂鉄について、その起源と推定される地層を探すことが目的でした。

 稲村ケ崎駅に集合した後、稲村ケ崎海岸に移動して、砂鉄を多く含む海岸の砂と、露出している地層を観察しました。
 相模湾に突き出た稲村ケ崎の西側の海岸は、鎌倉の海岸の中でも最も砂鉄が濃集している場所です。真っ黒な海岸の砂を観察すると、粒子の半分ほどが砂鉄で、残り半分は有色鉱物(角閃石、輝石など)でした。
 潮が引いていた海岸には三浦層群逗子層の地層がよく露出していました。逗子層は、三浦半島に広く露出する前弧海盆堆積物で、約450~820万年前ごろに深海で堆積した泥岩を主体とする地層です。稲村ケ崎にそそぐ極楽寺川の上流の地層はほぼ逗子層だけからなっており、砂鉄が地層から供給されているとするならば、砂鉄の起源は逗子層になるものと考えられます。稲村ケ崎の露頭はところどころ層状にえぐれていましたが、これは泥岩の間に挟まれた火山灰層や砂岩層が波で浸食されたものでした。さらにこのえぐれた部分に、海岸の砂が詰まって硬く固まり、あたかも砂鉄を多く含む砂岩層のようになっていました。第7回の時に稲村ケ崎に行ったときは気が付かなかった点で、重要な発見でしたが、同時に砂鉄を含む砂岩層が稲村ケ崎の逗子層中にあるわけではないらしいこともわかりました。

▲稲村ケ崎海岸の逗子層中の火山灰層(白く粗い部分)。 ▲逗子層や砂鉄を観察する会員。

 次に極楽寺川をたどって極楽寺駅方面に北方向に向かいました。極楽寺川は小さな河川で住宅の間を通る箇所が多いため河床の様子を見続けることはできませんでしたが、途中わずかに見えた河床の表層には、特に砂鉄が濃集している様子は見られませんでした。
  金山を越えて海岸沿いの鎌倉海浜公園で休憩した後、由比ガ浜海水浴場の砂を観察しました。数か所で砂を採取し砂鉄の量を調べた結果、湾の西側ほど砂鉄の量が多く、東に行くにつれて急激に減少していることが分かり、砂鉄が西の稲村ケ崎方面から流れてきていることが推定されました。
 その後、極楽寺切通や、極楽寺駅沿いに再び現れた極楽寺川の河床の逗子層を観察しました。極楽寺駅沿いの極楽寺川河床にはもはや砂はなく、水が露頭をなめるように流れるだけとなっていました。


▲稲村ケ崎に流れ込む極楽寺川の、河口から約200m上流。川底に砂鉄はあまり見られません。 ▲稲村ケ崎のすぐ東の由比ガ浜の海岸。東に行くほど砂鉄は少なくなり、白っぽい砂浜が広がります。
▲鎌倉七口の一つである極楽寺切通。極楽寺方面から由比ヶ浜方面に抜ける切通し道で。道の両側の崖は逗子層からなります。 ▲長谷駅のホームを挟んで線路の逆側では、わずかに極楽寺川が流れているのがのぞけます。

 今回の観察からは、鎌倉砂鉄が上流や海岸に露出する地層中の砂鉄を含む層からやってきているという単純なモデルでは、稲村ケ崎海岸の大量の砂鉄を説明できないのではないかという疑念が生じました。ある程度の起源は地層中に求められるでしょうが、それ以上に、砂鉄や重鉱物など比重の大きいものが稲村ケ崎に集まりやすいような、地形や海流などの条件が重要なのかもしれません。

写真撮影:地球科学野外ゼミ会員

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