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「相模川の生い立ちを探る会」 活動の記録
第266回 2015年4月18日 海老名市上郷~柏ヶ谷
■ テーマ:海老名の地形と相模国分寺
■ コース:JR相模線海老名駅~浅井の井~船着場跡~相模国分寺跡(海老名市温故館)~国分寺~逆川跡の碑~伊勢山自然公園~北部公園~かしわ台駅
今回の巡検の目的は、相模川水系である目久尻川周辺を歩いて段丘地形を観察することと、奈良時代に創建された相模国分寺跡及び、運河である逆川跡を巡ることでした。
開発真最中のJR海老名駅前で、本年度新会員を加えての簡単な自己紹介の後、相模川左岸幹線用水路に沿って北へ向い、今泉小学校の手前で、中津原面の段丘崖を観察しました。JR相模線の踏切を過ぎて100
mほど東に進んだところで、「浅井の井」とよばれる池を観察しました。この池の水は中津原面の基底礫層から湧出したものであろうとの事でした。かつての逆川の流路に沿った道路との標高差(比高)を図ると水面は道路より約20
cm低いものでした。
国分南1丁目には史跡「逆川の船着場跡」があり、「運河では 相模最古の 逆川」という海老名郷土かるたの歌が書かれた碑がありました。さらに300
mほど南下した所に、史跡「相模国分寺跡」があり、海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」にて国分寺跡についての説明を聞きました。
現在の国分寺はそこからさらに南方200 mほどの所にあり、相模原面に建っているとの説明をうけました。現在の国分寺にいくと、南側の国道246号線をはさんでもっとも高い面である座間丘陵、現在の国分寺が建つ相模原面、そのさらに低位にある中津原面がそれぞれ確認できました。相模原面と中津原面との比高を計ると約4
mでした。
現在の国分寺から西へ向かい、逆川跡の碑を巡った後、目久尻川に平行な道を北へ向かう途中で、関東ローム層の露頭を数カ所観察しました。このうち伊勢山自然公園の北に露出していた、白色の軽石層を挟むローム層は、座間丘陵を作る多摩ローム層と考えられるとのことでした。多摩ローム層の下にあると思われる礫層は見られませんでした。逆川の取水口があったといわれる付近の目久尻川河床で見えた露頭も多摩ローム層ではないかとの事でした。
今年度は、新たに野崎先生が指導に入られ、森先生と二人体勢で指導を受けています。最後の北部公園のまとめは、野崎先生のまとめの後、森先生から以下のような総合まとめがありました。
・中津原面(約3~4万年)、相模原面(約6~9万年)、座間丘陵(約15~30万年)を観察できた。
・座間丘陵・相模原面・中津原面は昔の相模川中流の扇状地として形成されたが、その証拠となる礫層は観察できなかった。
・浅井の井は中津原面の段丘礫層からの湧水と考えられる。
・伊勢山の北の露頭で、座間丘陵を作る多摩ローム層が露出しているのを観察した。
・史跡相模国分寺跡及び逆川跡を遡って観察した。
今回は、河川沿いに発達した複数の地形面と段丘崖がはっきりと観察でき、河岸段丘というものを理解しやすい観察会でした。(S. I.)
▲休耕期の水田と住宅の並ぶ中津原面の段丘崖を望む(海老名市上今泉 今泉小学校の東側) | ▲JR相模線の西側を流れる相模川左岸幹線用水路(海老名市上今泉) |
▲かつての逆川の流路付近にある「浅井の井」。中津原面の基底礫層から湧いたと思われる(海老名市国分北1 丁目) | ▲相模国で最古とされる運河、逆川の船着き場跡(海老名市国分南1 丁目) |
▲海老名市温故館では、相模国分寺に関する歴史などが展示され、解説員の方から解説があった。 | ▲相模国分寺跡に再現された七重の塔の基壇。一辺20.4 m、高さは1.8 mある(海老名市国分寺南1 丁目) |
▲現在の国分寺は、階段下の中津原面より、4 mほど高い相模原面に建つ(海老名市国分南1 丁目) | ▲相模原面から、国道を挟んで南側の座間丘陵を望む(海老名市国分南1 丁目) |
▲史跡逆川の碑が立つ場所で、逆川の由来や歴史が刻まれた碑を確認する(海老名市国分南1 丁目) | ▲伊勢山自然公園東端の切り通しで新期ローム層を観察する(海老名市国分南2 丁目) |
▲目久尻川河床に見られた露頭は、座間丘陵をつくる多摩ローム層と思われる(海老名市国分南2 丁目 ) | ▲杉本小学校西側で相模原面と、背後の座間丘陵を展望する(海老名市国分北4 丁目) |
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