平塚市にあるもう一つの貝塚(かいづか)、万田遺跡(まんだいせき)
縄文時代(じょうもんじだい)の景色とはいったいどのようなものだったのでしょう。
もちろん今のようにぎゅうぎゅうに建物が並び、地面はアスファルトでおおわれ、道路が何本もはしっているわけではありません。
本当のところは、未来でつくられるであろうタイムマシンで縄文時代に行き、当時の様子を直接見てみるしかないのですが、当時の景色の「予想」をたてることは、今でもできます。
土器(どき)をつかって貝や動物を料理し、たて穴住居(たてあなじゅうきょ)でくらす。これまでにかんたんに紹介してきました。
では、そんなくらしをしていた縄文時代の自然の景色はどうだったのでしょうか。
【図1】現在の万田遺跡(まんだいせき)
【図2】万田遺跡(まんだいせき)のあるところ
このことを考える前に、万田遺跡(まんだいせき)をしょうかいします。この遺跡は平塚市万田にあります。
90年以上前から調査が行われたいせきで、五領ヶ台遺跡(ごりょうがだいいせき)と同じく貝塚がみつかっています。(くわしくはこちら)
【図3】調査でみつかった貝の層
【図4】貝層の中からみつかった土器
万田遺跡は五領ヶ台遺跡よりやや早く貝塚として利用されたと推定されています。みつかった貝は主にハマグリとダンベイキサゴのようです。
もちろん貝の他にもシカやイノシシ、イルカなどの動物の骨(ほね)やタイ・スズキなどの魚の骨もみつかっています。
【図5】調査でみつかった人の骨
【図6】調査でみつかった土偶(どぐう)
さらに、ここでは実際に人の骨がみつかっています。【図5】の右がわが下あごの骨で、左がわの前にあるのが頭の骨の一部、奥(おく)にあるのが太ももの骨の一部です。
【図6】は土偶(どぐう)です。人の形をした焼き物で、そのほとんどは女性をモチーフにしていると言われています。このことから、妊娠をはじめとする「生」やその反対の「死」についてのおまじない。
また、バラバラでみつかることが多いため、自身がケガや病気をしてしまったときに、土偶のそのところをこわすというおまじないをしたなど、いろいろな説があります。
縄文時代の海
さて、万田遺跡について少し説明してみました。ここも貝塚がみつかり、「海」との関係を感じられる遺跡ですね。
【図7】平塚市周辺のおもな縄文時代前期・中期(およそ6500~5000年前)の遺跡のあるところ
(国土地理院地図に加筆し作成)
【図7】は平塚市のまわりの、今からおよそ6500~5000年前のおもな遺跡があるところをしめしたものです。
赤い四角が貝塚ですが、みなさん、海からはなれすぎてはいないかと思いませんか?
五領ヶ台遺跡から【図7】の海岸線まではおよそ6キロメートルほどです。
車もバスも自転車もない時代。貝や魚を取ってくるだけで往復(おうふく)で約12キロメートルを歩く、しかも帰りはたくさんの貝や魚をもって…たいへんですよね。
ならば、海に近いところに住めばいい!ですが、【図7】をみてください。黒い丸は縄文人の家がみつかった遺跡なのですが、海の近くにはありません。
一番近くに思える万田遺跡(まんだいせき)、熊之台遺跡(くまのだいいせき)も、
高麗山(こまやま)をはじまとする大磯丘陵(おおいそきゅうりょう)の山々をさけて行かなければなりません。
では、どうやってあんなにもたくさんの貝や魚を運んでいたのでしょうか。
【図8】縄文時代前期・中期(およそ6500~5000年前)の海岸線推定図(国土地理院地図に加筆し作成)
【図8】はおよそ6500~5000年前)の海岸線を推定(すいてい)した図です。青く塗ったところは海です。
海が遠いのならば、海を近づければいい!…そういうことではありません。
これは、縄文時代は海が陸地まで入り込んでいたのではないかと考えられているのです。
こうした、縄文時代で海水面が上昇したことによる海岸線の変化は「縄文海進(じょうもんかいしん)」と言われたりします。
【図9】関東地方における縄文時代の貝塚
証拠のひとつが、神奈川県を含む関東地方(かんとうちほう)では、陸地の奥まで貝塚がみられることです。
【図9】を見ると今は海に接していない埼玉県まで、貝塚があることがわかります。
縄文時代の関東地方の貝塚から、現在の東南アジアなどに生息するハイガイなど温かい海水温度に生きる貝がみつかるため、
「縄文時代は今より温暖であったので、海水面が上昇した」と説明されるのがいっぱんてきですが、
最近の研究によると、こうした海水面の変化は様々な原因が考えられるようになっていて、詳しくは分かっていません。
縄文時代の景色はどのようなものだったのでしょうか。この問いに海の違いから考えてみました。
今みなさんが住んでいるところが、もしかしたら縄文時代では海だったのかもしれない。
今より温かく、もしかしたら見たことのないような植物がはえていたのかもしれない。
そうした楽しみも感じてもらいたいです。