縄文時代(じょうもんじだい)の人たちは何を食べていたのでしょうか。
みなさんはきのう何を食べましたか。カレー、ハンバーグ、サラダ…きっといろいろなものを食べたでしょう。
縄文時代は今のようにかんたんには食べものが手に入らず、さびしい食事をしていたと思われがちです。
しかし、そんなことはありません。縄文人たちも、じつにいろいろなものを食べていたようです。
遺跡(いせき)を調査すると、当時の人たちが食べた物はほとんど見つかりません。
ですが、それが多くみつかる、少し特別(とくべつ)な遺跡がいくつかあります。
そのうちの一つが、貝塚(かいづか)です。
貝塚(かいづか)とは、食べものとしてとってきた貝などの殻(から)が捨てられ、あつく積み重なってできた遺跡のことです。
特に縄文時代は、こうした貝塚が多く発見されています。しかも、貝塚を調査すると、貝だけが見つかるのではありません。
縄文土器(じょうもんどき)や石器(せっき)という石でできた道具、いろいろな動物の骨(ほね)や人の骨まで見つかることもあります。
こうしたことから、貝塚はただの「ゴミ捨て場」ということではなく、
命を終えたものやこわれてしまい使えなくなってしまったものなどをとむらったり、
それらにいのりをささげたりする特別な場所であったのではないかという説もあります。
【図2】は実際に貝塚でみつかった貝殻です。
平塚市内にもこの「貝塚」はあります。有名なものが「五領ヶ台遺跡(ごりょうがだいいせき)」です。
五領ヶ台遺跡は平塚市広川にある五領ヶ台公園にあります。この公園の場所がほぼそのまま遺跡(いせき)の場所となっています。
この遺跡は何回か調査が行われ、【図6】のような貝が積み重なった層(点線の中の白い層)がみつかりました。
そして【図7】のように、みつかった貝の種類は一種類だけではありません。
もちろん、貝だけを食べていたのではありません。他にも動物の骨はみつかっています。