縄文人の食べもの



   
図1

図1
【図1】縄文人が食べものを手に入れる様子(イメージ図)

縄文時代(じょうもんじだい)の人たちは何を食べていたのでしょうか。
みなさんはきのう何を食べましたか。カレー、ハンバーグ、サラダ…きっといろいろなものを食べたでしょう。
縄文時代は今のようにかんたんには食べものが手に入らず、さびしい食事をしていたと思われがちです。
しかし、そんなことはありません。縄文人たちも、じつにいろいろなものを食べていたようです。



  

遺跡(いせき)を調査すると、当時の人たちが食べた物はほとんど見つかりません。
ですが、それが多くみつかる、少し特別(とくべつ)な遺跡がいくつかあります。
そのうちの一つが、貝塚(かいづか)です。

図2
【図2】貝塚でみつかった貝殻(かいがら)
   

貝塚(かいづか)とは、食べものとしてとってきた貝などの殻(から)が捨てられ、あつく積み重なってできた遺跡のことです。
特に縄文時代は、こうした貝塚が多く発見されています。しかも、貝塚を調査すると、貝だけが見つかるのではありません。
縄文土器(じょうもんどき)や石器(せっき)という石でできた道具、いろいろな動物の骨(ほね)や人の骨まで見つかることもあります。
こうしたことから、貝塚はただの「ゴミ捨て場」ということではなく、
命を終えたものやこわれてしまい使えなくなってしまったものなどをとむらったり、
それらにいのりをささげたりする特別な場所であったのではないかという説もあります。
【図2】は実際に貝塚でみつかった貝殻です。



   

五領ヶ台遺跡(ごりょうがだいいせき)について


図3
【図3】五領ヶ台遺跡(ごりょうがだいいせき)のあるところ

     

平塚市内にもこの「貝塚」はあります。有名なものが「五領ヶ台遺跡(ごりょうがだいいせき)」です。
五領ヶ台遺跡は平塚市広川にある五領ヶ台公園にあります。この公園の場所がほぼそのまま遺跡(いせき)の場所となっています。

図4
【図4】今の五領ヶ台公園のようす

ここの遺跡で見つかった土器は「五領ヶ台式土器(ごりょうがだいしきどき)」とよばれ、
約5000年ほど前の基準となる土器のひとつとして有名となり、国から史跡(しせき)に指定されています。


【図5】五領ヶ台式土器(ごりょうがだいしきどき)



【図6】五領ヶ台遺跡でみつかった貝の層
  

この遺跡は何回か調査が行われ、【図6】のような貝が積み重なった層(点線の中の白い層)がみつかりました。
そして【図7】のように、みつかった貝の種類は一種類だけではありません。


【図7】みつかった貝の種類

全部で30種類の貝がみつかったとされています。アサリはみなさんが今でも食べているみそ汁の中に入っていますね。
サザエ・ハマグリもみなさん知っているでしょうか。
この遺跡で一番多くみつかったのはダンベイキサゴ(「ナガラミ」とよばれている貝)です。
潮干狩り(しおひがり)で採れる貝から、陸を遠く離れていかなければ採れない貝まで、
とてもたくさんの種類の貝をたべていたのですね


もちろん、貝だけを食べていたのではありません。他にも動物の骨はみつかっています。


【図8】みつかった動物の骨の種類

さかなは今でも食べることが多いものがほとんどですね。ほにゅう類のシカやイノシシもスーパーではめったに見かけませんが今も食べられています。
みなさんになじみのないものはやはりイルカでしょうか。みつかったイルカの骨には食べるために解体(かいたい)したときのキズがあるものもあります。


【図9】じっさいにみつかった骨と貝殻

【図9】はじっさいにみつかったイノシシの下あごの骨(左)とハマグリの骨(右)です。
みつかった骨は道具やアクセサリーの材料にもなっていたりもしていますので、ぜんぶが食べものであったとはなかなか言いにくいですが、
こうしたたくさんの種類の動物や木の実などを縄文人は食べていたのだろうと考えられています。