夏期特別展 |
ガリレオから400年
最終更新:2009年7月18日
|
|
<< 見どころ紹介 >>
E pur si mouve! それでも地球は回っている
●「天文対話」1632年初版本(千葉市立郷土博物館所蔵)
ガリレオが宗教裁判にかけられる際の論拠となった著書。3人の対話形式で書かれ、地動説の立場から天動説の立場に立つ相手を徹底的に理攻めするという内容。公開は県内では初めて。
●ガリレオが作った望遠鏡
ガリレオの望遠鏡(レプリカ) ガリレオが天体観測に使った望遠鏡で、現在はイタリアのフローレンス科学史研究博物館に所蔵されているものを可能な限り精密に復元したもの。望遠鏡には実物どおりのレンズも取り付けられ、ガリレオがのぞいたときと同じ倍率14倍で同じ視野が得られます。
●ニュートンの反射望遠鏡模型 (山本威一郎氏所蔵)
彼は1668年に小さな金属の鏡を2枚使った反射望遠鏡を作りました。凹面鏡で集めた光を斜鏡とよぶ小さな平面鏡で光を曲げて筒の横から見るようにしたものです。
●ハーシェルの望遠鏡模型(五島プラネタリウム資料室所蔵)
18世紀、イギリスの天文学者、ウイリアム・ハーシェルは当時、まだわかっていなかった星の距離を測る目的で反射望遠鏡をつくり、観測をしていました。やがて星の距離だけでなく、宇宙はどんな構造になっているのかを探るため大きな望遠鏡で遠くて暗い星の光を十分に集めよう、と考えました。ところが当時は6等星までの星図しかなく、そこで暗い星がたくさん見える望遠鏡の観測のため、星図を作りながらの観測でした。その過程で1781年3月13日におうし座に見慣れない星を発見しました。しかしはじめは彗星だと考えました。惑星は土星までと考えられていた時代です。これが天王星でした。
●天王星を発見したハーシェル
18世紀のイギリスの天文学者、ハーシェルは当時世界最大の口径120cmの反射望遠鏡で観測をしました。彼は星をたんねんに数え、星の分布やその中に見える星雲、星団を数えあげました。そのなかに一つ、円盤状に見え、日々動いている星を見つけました。それが6番目の惑星、天王星です。ハーシェルの巨大な望遠鏡の模型からその大きさが感じられます。
RED SHIFT 宇宙が膨張している
ハッブルは20世紀はじめに、アンドロメダ銀河が銀河系の外、しかも100万光年も離れている、と言い出しました。もっとすごいことに宇宙は膨張している、とさえ言いました。証拠は赤方偏移とよぶ光のドップラー効果です。遠くの天体が出す光が宇宙が膨張しているため赤く変異するのです。
●ウイルソン、パロマ望遠鏡模型(五島プラネタリウム資料室所蔵)
1917年、宇宙の理解を大きく広げる望遠鏡が誕生します。アメリカ、カリフォルニア南部のウイルソン山に作られた、口径100インチ(2.5m)フッカー望遠鏡がそれです。
1925年にアメリカの天文学者E.ハッブルは、この望遠鏡で撮影した2つのうずまき星雲、 M33 、 M31のセファイド変光星の発見を発表しました。 これらの変光星は変光の周期から星の絶対的な明るさが決まっているため、星までの距離を計ることができます。この方法で計ると、M33もM31も天の川銀河よりずっと遠く、うずまき星雲は宇宙に独立して浮かんでいる巨大な星の集団、すなわち「島宇宙」であることがわかりました。
1948年には、パロマ山に口径200インチ(5m)のヘール望遠鏡が完成し、世界最大の望遠鏡として20世紀後半の天体観測をリードしました。
●銀河分布構造模型
宇宙の中のおよそ5億光年ほどの範囲を切り取り、約3000個の銀河の分布を示しています。距離や角度を変えて眺めると、銀河たちが集中したり、連なったり、空洞を作ったりして分布しているのがよくわかります。
●SDSS観測で使われたアルミの穿孔板(実物)
広視野の2.5m 望遠鏡に取り付けられ、目標天体の位置に合わせてあけられた穴から、光ファイバーケーブルを用いスペクトルの観測装置に光を送り込むためのものです。
Giant Leap 月へ行った人間
ロケットは第2次世界大戦以後、科学観測用に使われるようになりました。1957年に人工衛星が打ち上げられると、61年には有人宇宙飛行に成功、ついには69年に月に降り立つまでになりました。人類が月に立ってちょうど40年です。
●アポロ月着陸の新聞報道資料
●アポロ着陸船・司令船・機械船の模型
●サターン5型ロケットの模型
宇宙に飛び出した探査機たち
ペンシルロケットから始まった日本の宇宙への挑戦は、今では多様な目的の宇宙探査機を送りだしています。なかでも小惑星探査機ハヤブサは、小惑星イトカワに下りたち、そのサンプルを持ち帰るため地球をめざして飛び続けています。
●M5、H2ロケット、ペンシルロケットの模型(JAXA宇宙航空研究開発機構)
●観測衛星すざく、あすか、ようこう、ジオテイルの模型(JAXA宇宙航空研究開発機構)
太陽観測
ガリレオが観測した太陽スケッチは、太陽表面に現れる黒点が克明に描かれ、その変化や太陽面上での位置の変化がよくわかります。ガリレオ以来、19世紀はじめまでの太陽観測というと、黒点の消長を記録することでした。黒点の観測は太陽活動を見るのに都合がよく、現在も継続して観測されています。19世紀になると、フラウンホーファーによる太陽の分光観測から太陽に暗線がたくさん入っているのが発見され、カリントンの白色光フレアの観測や、皆既日食の際のプロミネンスやコロナの分光観測からの新たな元素ヘリウムの発見がありました。20世紀になると、コロナグラフが発明されて、日食時でなくてもコロナの観測ができるようになりました。そして、コロナの温度が100万度、という高温であることが分かり、太陽表面として見える光球の6000度からどうやってコロナを100万度に加熱できるのか、が太陽の最大のナゾとしていまだに残されています。
●ひのでX線観測装置(国立天文台)
●ひので主鏡と副鏡(国立天文台)
→戻る
→過去の特別展のメニューに戻る