相模川河口干潟/地形の変化 (2005.3)
探偵「この地図が相模川河口だ。うす茶色で干潟と書いてあるのが、1980年代まで干潟だった所だね。その頃には、茅ヶ崎側の河口ぎりぎりの所に東西に砂州(さす)が伸びていて、その北側が干潟になっていたわけだ。」
物子「青で書いてあるのが、今の砂州なのね。」
博「前に干潟だった所は、ほとんど海の底になってしまったわけだね。どうして、こんなに変化してしまったの。」
探偵「台風による大水で砂州が流されることが何回かあってね、そのたびに砂州の位置が湘南大橋に近づいてしまったんだ。たぶん、川が砂や泥を運んでくる力よりも、海の波が砂浜を削る力の方が強かったためだろうね。」
博「もう干潟はもとに戻らないのかな?」
探偵「相模川の河口を管理している国土交通省でも、渡り鳥の集まる干潟を取り戻すことは、課題の一つにあげている。でも、具体的にどうすれば干潟が再生(さいせい)できるかは、専門家でもよくわからないんだ。もっともっと、いろいろなことを調べないとね。」
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