■真土大塚山古墳の概要
真土大塚山古墳は、砂丘列の北から2列目の最高点、標高は19.5mに位置しています。調査は昭和10・11年に実施され、多数の副葬品とその出土状況が明らかになり、三角縁神獣鏡や多数の銅鏃は注目されました。また、この古墳が砂丘上にあるという珍しい立地から、「砂丘墳」とも名付けられました。調査は昭和35・36年にも行われ、小型の変形四獣鏡をはじめとする副葬品が検出されました。
真土大塚山古墳の形について、石野瑛氏は前方後円墳から円墳に、日野一郎氏は円墳としました。また、昭和49年に、真土大塚山古墳の出土品を収蔵している東京国立博物館の本村豪章氏は、2度にわたった調査記録を詳細に検討され、古墳は南北に主軸をもつ古墳であり、2つの主体部の存在を指摘し、東国の初期の古墳によく見られる前方後方墳であると解釈しました。現在では、前方後方墳説をとる研究者が多くなっています。