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第6回 「平塚」の地名について (2009年9月号)
前回は平塚宿の問屋場をみました。少し硬い話が続いたので気分を変えた話をしましょう。
よく、「平塚」の地名の由来についてのお問い合わせがあります。
「平塚」の地名は『吾妻鑑』に建久3年(1192)8月9日、源頼朝夫人の北条政子の安産祈祷を行わせた社寺として「範隆寺 平塚」とあること、源頼朝が神馬を奉納した神社として「黒部宮 平塚」とあることが文献上の初見です(『平塚市史』1 №234)。また、正和5年(1316)3月25日、27日の益性法親王書状には「平塚宿」という文言が初めてみられます(『平塚市史』1 №23、24)。しかし、これらから平塚の地名の由来を知ることはできません。
「平塚」の地名の由来として有名なのが、「平塚の塚」の言い伝えです。これは東国に下向していた桓武天皇3代の孫、高見王の娘政子が天安元年(857)2月25日にこの地で没し、そのひつぎを埋めて塚を作ったところ塚の上が平らであったことから「平塚」の地名が起こったとするものです。
この言い伝えは天保期に幕府が編さんした『新編相模国風土記稿』にも収録されており、江戸時代から言い伝えられていた古い話で、現在、平塚4丁目の要法寺の西に「平塚の碑」という大きな石碑もあることから、かなり多くの方々が知っている話です。しかし、「政子」なる人物の実在は確認できず、『新編相模国風土記稿』の編者も「土人の口碑に伝ふるのみ、未だ考る所なし」としており、あくまでも言い伝え・伝説であって事実ではないといえます。
それでは、「平塚」の地名の由来、意味は何なのでしょうか。地名を付けた人の記録があるわけではないので、結局、正確なところは「謎」と言うしかありません。
ただ、いくつかの考えはあります。たとえば、『平塚小誌』には先史時代の平塚にはアイヌに似た人々がいて「シラスカ」などと呼ばれたのではないかとしています。この説の根拠は不明ですが、「スカ」が「ツカ」に変化したのではないかという考えは一考に値するかもしれません。平塚市内の「須賀」も「スカ」と読みますが、「スカ」のつく地名は海辺に多く、近くは茅ヶ崎市の浜須賀や横須賀などがあります。『地名用語語源辞典』(東京堂出版)によれば「スカ」とは海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味があるといい、平塚も須賀も砂丘上に形成された集落であることから、地名の由来としては納得できます。
また、「平塚」の「塚」をスカの訛りとしなくても、同辞典によれば「ヒラ」は斜面を表し、「ツカ」も丘を意味しているというので、「ヒラツカ」という呼び方そのものも平塚の地形に即しているともいえます。
結局のところ、確実なことはわかりませんが、砂丘上に形成された集落という平塚の地理的特徴をふまえれば、「平塚」の地名は地形、地理的特徴に由来すると考えるのが、今のところ納得しやすいと思いますが、いかがでしょうか。
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