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平塚の考古資料50選
28. 都から運ばれた土器(畿内産土師器)
畿内産土師器坏
遺跡名 高間原遺跡(平塚市北金目字高間原)
大きさ 口径15 ㎝、高さ4 ㎝
年 代 古墳時代後期(7 世紀後半)
古代日本の政治・文化の中心であった飛鳥京・藤原京・平城京などでは、暗文によって飾られた土師器が食器の中心を占めていました。『延喜式』の記載から、これらの土師器は主に大和国と河内国から貢納されていた可能性が考えられ、「畿内産土師器」と呼ばれています。
都で用いられた畿内産土師器は、しばしば近畿地方以外の遺跡でも出土することがあります。神奈川県下では22遺跡40例を数え、東海大学湘南キャンパスの一角にある高間原遺跡の例もその一つです。本例の土師器坏は飛鳥京の終わり頃にあたる、7
世紀後半の製品となります。
神奈川県下での畿内産土師器の出土例は、7 世紀代は墳墓や拠点的な集落からが多く、7
世紀末頃から8 世紀前半には国府や郡家といった官衙からの出土例が増えます。こうした畿内産土師器の出土状況は、当時の豪族や有力者たちと大和政権の関わりや、律令体制が地方へ浸透する過程を知る重要な手がかりとなります。
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