びわ青少年の家の近くの高台から望んだ
遠藤原の台地
旧土屋公民館跡から遠藤原に登るがけに
見える地層。
下半分には厚く積もった火砕流跡の層
(白っぽい部分)がある。
七国峠や遠藤原は、平塚八景に数えられる市内の代表的な景勝地です。
バス停「七国峠」から十分ほど南に歩いたところに、見晴らし台があり、平塚八景「七国峠・遠藤原」の碑が立っています。
このあたりからは、かつて、甲斐、駿河、伊豆、相模、安房、上総、武蔵の七つの国が一望できたといわれています。
七国峠の北には遠藤原の台地が広がっています。
この平らな台地は、約五万年前、箱根火山が噴火した際の火砕流が十メートルもの厚さで堆積(たいせき)し、できたものです。
記憶に新しい火砕流に雲仙普賢岳の噴火(平成二年・長崎県)が上げられます。
雲仙普賢岳の火砕流は、噴火の翌年に溶岩ドームが崩壊し、発生したものですが、箱根火山の火砕流は、「軽石流」と呼ばれ、軽石を多量に含む高温のガス体が高速で流れたものです。
旧土屋公民館跡から遠藤原に登る途中のがけには、今でもこの火砕流の跡が見られます。
また、遠藤原では火砕流の熱で焼けた木片も見つかっています。
箱根から遠藤原までは、約二十五Km
体積十立方Kmといわれる箱根火山の火砕流は、この長い距離を流れてきました。
さらに火砕流の跡をたどると、遠藤原の地よりもはるか遠くまで流れ、相模川を横断し、現在の大和市や横浜市西部にまで達したことが分かっています。
冬の晴れた日は、空気が澄み、高台からは山々の稜線(りょうせん)など、遠くの美しい景色が楽しめます。
七国峠の見晴らし台からの景色も五万年前の大噴火を想像し、見渡せばいつもと違った眺めになるかもしれませんね。
(平成17年12月15日掲載)