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最終更新 2004年3月

縄文の海を語る化石(1)−平塚市東豊田−
 


■縄文の海
 平塚市東豊田のポンプ場建設の際、建設現場から写真のような多量の貝化石が見つかった。化石とはいえ、色も現在生きている貝とかわらない程よく残っていた。平塚の平野からこのような多量の貝の化石が発見されたのは初めてのことだった。貝の化石は14〜25mほどの地下の地層から見つかり、縄文時代の初め頃(約8000〜6000年前頃)生息していた貝と考えられる。当時、この付近が浅い海であったことが裏付けられたことになる。
 収集した貝は80種類以上に及び、開けた湾の外側にすむワスレガイ・チョウセンハマグリ・ダンベイキサゴ・サトウガイ・ヒナガイなどと、内湾に棲むヒメカノコアサリ・サクラガイ・ウミニナ・マガキなどとが、入り混じっていることがわかった。掘られた砂の山に貝殻が多量に含まれているのを現場で見ていると、脳裏に、かつての海岸の光景が浮かぶ。たくさんのサクラガイが生息する浜だったようだ。貝を含んでいる地層は微細砂〜砂混じりの泥で、内海だったのだろう。ほとんどが潮間帯〜水深20m程にすむ貝なので、海岸線に比較的近い場所であったことは間違いない。おそらく、この場所は内湾から開けた海になり、また内湾から干潟になって埋め立てられていったものと推定される。
 現在の湘南海岸に打ち上げられている貝を見てみると、江ノ島西側の片瀬西浜から大磯海岸にかけての海岸では、サトウガイ・ダンベイキサゴ・キサゴ・コタマガイ等が多く、ワスレガイ・オオマテ・クチベニ・ベンケイガイ・イタヤガイ・チョウセンハマグリ等を伴う外洋性の細砂底に生息する貝類が多くみられる。また、バカガイ・ツメタガイ・アサリ・マテガイ・カガミガイといった内湾の砂泥底に棲む貝類も混在している。こうした外洋性の貝類が優勢で内湾性の貝類が混在する傾向は、東豊田のポンプ場から産出した貝化石と同様であり、縄文の海も現在とほぼ類似した環境であったことがわかる。
 しかし、縄文時代の貝化石からは、現在では紀伊半島以南にしか分布しない、ハイガイ・コゲツノブエ・カニノテムシロ・タイワンシラトリといった温暖な種も少量見いだされており、縄文の海は現在よりもやや温暖であったことがうかがえる。この頃の海面は現在より数m高く、日本各地の平野に海が浸入していたことが知られている。
 博物館にある平野のボーリング資料を見てみると、コアサンプルの中に東豊田と同じ様な貝化石が含まれていたり、ボーリング報告書の中に貝殻の記述がなされているところが数多く認められる。縄文時代の海は、平塚市北部では大神付近まで、西部では岡崎付近まで広がっていたようである。
 この縄文の海を示す証拠として、相模平野周辺には、平塚市に五領ヶ台貝塚と万田貝塚が、茅ヶ崎市に西方貝塚、堤貝塚、行ヶ谷貝塚が知られている。
  
  文献:森慎一・鈴木茂・(1995) 平塚市博物館研究報告 18号

東豊田ポンプ場の建設現場 化石を含む砂層
▲東豊田ポンプ場の建設現場 ▲掘り出された砂の中には白い貝化石がたくさん含まれていた。
発見された貝化石 ボーリング調査
▲砂層の中から見いだされた縄文時代の貝化石 ▲平野の地層はボーリング調査によって調べる。
岡崎陸橋の工事 地下から見つかった金目川の河床礫
▲小田原−厚木道路をまたぐ岡崎陸橋の工事現場 ▲岡崎陸橋の工事現場では地下から金目川の河床礫が多量に発見された。

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