平塚市博物館公式ページ
前々日に猛烈な台風が通過したあとは、数日間、好天に恵まれました。海もキラキラと輝き、自然の美しさを堪能できた一日でした。三浦一族最後の居城となった新井城をはじめ、引橋や油壺など三浦氏ゆかりの地名が残り、その史跡を訪ねる一日ともなりました。
★行程:三崎口駅-引橋バス停~白鬚神社(昼食)~三浦道寸の墓~真浄院~栄町バス停-三崎口駅 参加者13名
▲外の引橋 新井城の防御のため、谷間に橋を架け、外敵が攻めてきたときに橋を引いて侵入を防いだという。134号線の両側に谷が迫る。(小網代) | ▲夫婦地蔵と犠牲犬供養塔 珍しく双体地蔵が3基。心中した茶店の老夫婦の霊を慰めるために里人がまつったという地蔵。(小網代) |
▲小網代湾の眺め (小網代) |
▲白鬚神社の手水鉢 小網代鎮守・白鬚神社の水鉢正面に「奉納 東之里中」と刻む。小集落の意味で“里”が使用されるのが三浦半島西部の特色。(小網代) | ▲白鬚神社に奉納された船絵馬 文政10年(1827)に大工が奉納した絵馬。(小網代) |
▲白鬚神社のカンカン石 イカリのおもり石を奉納したと伝え、鳴石ともいい、石で叩くと金属製の音がする。(小網代) |
▲白鬚神社の大きな貝殻の手水鉢 アコヤ貝か?貝殻下の文字は「大正■年 南洋紀念」とかろうじて読めた。(小網代) |
▲内の引橋 新井城防御のための引き橋が架かっていた所。橋を引くと天然の要害の島城と化した。ここも道路の両側は急峻な谷が切れ落ちている。(小網代) | ▲三浦道寸の墓 最後の新井城主の墓。息子・荒次郎の墓も近くにあり、自刃した首が小田原まで飛んで小田原市居神神社の祭神になったという。(小網代) |
▲道祖神 左はなんの変哲もない石塔だが、これが三浦市で唯一の道祖神。寛政年間造立。(小網代) | ▲心光寺の墓地 浄土真宗。三浦市の寺墓地では家ごとの墓に灯籠が立つのが特色。(諸磯) | ▲鍬とクワハタキ 三浦市でクワハタキが使われているのは意外だった。これからダイコンをまく畑。(原町) |
▲クワハタキの使用 鍬の刃の表裏にこびりついた土を竹のヘラでこすって落とす。とくに土が湿ると刃につきやすく、この辺でもたいていの人が使っているという。(原町) | ▲真浄院の庚申塔 左端は寛文元年(1661)造立の三猿塔で、庚申待のいわれが刻まれている。(栄町) |
▲真浄院の六十六部供養塔 三浦市では六十六部供養塔を多く見かける。これは享保5年(1720)造立とは思えぬ優美な石塔。(栄町) |
★次回:2013年10月16日(水) 「相模湾の民俗 第25回 諸磯探訪」
→ 民俗探訪会の目次へ
→ 平塚市博物館のトップへ
平塚市博物館 254-0041 神奈川県 平塚市 浅間町12-41
電話:0463‐33‐5111 Fax.0463-31-3949