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長井は、浦賀や三崎とともに漁業で栄えた港町で、水揚げした魚を江戸まで運び、仲買人を通して江戸の先進文化が入る土地でした。長井の鎮守、熊野神社には日本橋の魚問屋や干物問屋が寄進した石段や、石船が奉納した寛政年間の鳥居など、かつての繁栄が偲ばれる石造物が残されています。熊野神社の例祭は船に神輿と山車をのせて海上渡御をし、たいへん壮観だったそうです。経費がかかりすぎるという理由で、昭和33年に祭礼は中止となり、現在は7月15日に神事だけ行われます。祭囃子などは町内のお祭りで一部が継承されているようです。
鎌倉市の長谷寺の本尊・十一面観音は、養老5年(721)に大和国で楠の巨木から二体の観音像が彫られ、一体は奈良の長谷寺の本尊となり、もう一体は海中へ奉じられ、天平8年(736)に長井浦に顕れ鎌倉へ遷座されたと縁起に誌されています。じつは二体の観音像を彫った残りの木も長井の浜に漂着し、この霊木で行基菩薩が不動像を彫り、長徳寺の本尊として祀ったと伝えられています。長徳寺は天台宗でしたが、のちに浄土真宗に宗派が変わり、現本尊は阿弥陀如来です。
長井の荒井には、県内で珍しい“道切り”の習俗が継承されています。荒井の町内境の3カ所に設置されており、今回は漆山境に吊された一カ所を見ることができました。しめ縄に、刀と蛇と賽子(木製)と草履(片足分)が吊してありました。5月11日(土)の住吉神社祭礼日に製作されたばかりのようで、きれいでした。道切りの風習は千葉県に広く分布しており、蛇や草履などを提げることも共通しています。房州の民俗との関連がうかがえる事例のひとつです。
水産総合研究センター増養殖研究所では、資源生産部長様より日本の水産業の現況と研究所の研究内容について、たいへんわかりやすくご教示いただきました。国内で消費される魚介類は輸入量が年々増え今は全体の半数を超えていること、スーパーマーケットでは一定品質、一定時刻、一定価格での供給が求められ、それが自然を相手にする漁業にとって困難であることなど、いろいろと考えさせられるひとときでもありました。ウナギの稚魚の養殖研究が実を結びつつあるとのことで、近い将来大きな話題を呼ぶかもしれません。
今回は、JRの人身事故の影響で到着が1時間遅れ、タイトな行程となりましたが、長井の方々から漁業やお祭りの話などを聞くことができ、とても実りの多い一日となりました。ありがとうございました。次回も長井を少し歩いてから、初声町和田へと向かう予定です。
★行程:三崎口駅(昼食)-長井小学校バス停~長井漁港~長徳寺~漆山公会堂~熊野神社~住吉神社~水産総合研究センター~熊野神社~荒崎バス停-三崎口駅 参加者15名
▲カニカゴ 水深数百㍍の深海に沈め、タカアシガニやミルクガニを捕る籠。(長井漁港) | ▲長徳寺の水鉢 寛文12年(1672)寄進の大きな水鉢。 |
▲長徳寺 長谷観音像を彫った残り木が長井の浜に漂着し、この霊木で不動像(当初の本尊)を彫ったという。 |
▲昆布干し 昆布は小田和湾で養殖し、一日天日に干して袋詰めし、早煮昆布として出荷される。(新宿) | ▲竜宮社 新宿の竜宮社。 |
▲長井漁港の漁船 浜へスラを敷き、船を引き上げている。(新宿) |
▲長井漁港(漆山) | ▲昆布干し(漆山) | ▲道切り 疫病神の侵入を防ぐために漆山境に設置する。以前は道路を横断するように掛けられていた。(荒井) |
▲水産総合研究センターにて 水槽のイセエビ、アワビ、サザエを見学させていただいた(荒井) | ▲住吉神社境内 荒井の鎮守。湯立神楽に使用した竈が設置されている。(荒井) | ▲榊神輿 住吉神社の祭礼で製作された神輿。かつては担いで回り、海に流したという。(荒井) |
▲日本橋魚問屋から寄附された石坂1(熊野神社) | ▲日本橋魚問屋から寄附された石坂2(熊野神社) | ▲亀塚 「奉祀寳亀鎮魂之霊」と誌す。昭和11年の造立。漁網に掛かった亀の供養。(熊野神社) |
★次回:2013年6月19日(水) 「相模湾の民俗 第22回」 荒崎バス停~三崎口駅
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