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今回は探訪箇所が多く終了は17時20分となりました。小坪では漁師さんや船大工の方から話を聴くなどじっくりと訪ねることができました。
鎌倉では前回の坂ノ下御霊神社に続き、材木座の五所神社にも海から引き上げた大石を神体として祀る石上稲荷がありました。中島の見目明神社と牛頭天王社が五所神社に合併される以前、牛頭天王社の神輿はこの石上さまへ上がったといわれています。また昔、材木座飯島の西沖に、網が切れたり、子供が引き込まれて命を落としたりする魔の場所がありました。関東大震災後に海底が隆起するとそこに大石が現れ、その石を“よじべえ石”と呼び、引き上げて鶴岡八幡宮へ納めたといわれています。このように鎌倉の海岸には、神聖視される一方で人に障りをなす石を引き上げて神として祀る事例を少なくとも三ヵ所確認することができました。
二日後の5月18日に小坪漁業協同組合主催の八大龍王祭が行われ、3名の会員が行事を見聞しレポートしてくれました。それによると、当日午前9時に小坪港を2艘の漁船が出港、一艘の漁船に大漁旗を五枚掲げ、四名が乗りました。途中で大崎の岬にある八大龍王の旧祠に向けて、海上から奉納品のオブリと御神酒を捧げました。高養寺の前は遠浅で船は接岸できないため、参拝者は漁船から降りて奉納品を手で抱えてお寺まで歩いてきました。鯛2尾、金封、御神酒、三色の旗が奉納され、住職の読経が行われました。高養寺の不動は浪切不動と呼ばれ、ここに参拝してから船を出すとよく波を切って船体の自由を得るとの言い伝えもあったそうです。のちに徳富蘆花の『不如帰』のヒロインにちなみ浪子不動と呼ばれるようになりました。行事はその後、小坪漁港の八大龍王社で漁協関係者十数名が参列して式典が開かれ、11時に終了しました。八大龍王祭は1月2日も行われ、漁船上からミカンを投げるためミカン投げ祭りとも呼ばれています。
★行程:蛭子神社~安国論寺~長勝寺~五所神社~光明寺(昼食)~小坪公民館~小坪漁港~伊勢町八幡宮~天照大神社~高養寺~逗子駅 参加者15名
▲小町・蛭子神社の手洗石 小町の鎮守・蛭子神社は漁業・商業の神で、「魚河岸」と刻む手洗い石が昭和10年に奉納されている。 |
▲材木座・長勝寺の手洗石 日蓮宗の長勝寺にも「魚河岸」の手洗い石が奉納されている。 |
▲材木座・五所神社の石上稲荷 石祠内の大石は、昔は材木座海岸にあり、子供が石に乗ると病むというので引き上げて祀ったという。 |
▲材木座・光明寺の地蔵堂 網引地蔵尊・延命地蔵尊と記された石地蔵。 |
▲和賀江嶋周辺の眺め 和賀江嶋は鎌倉時代の築港遺跡で、ここから石を持ち出すときっと祟りがあるといわれていた。 |
▲飯島の白髭神社 白髭神社は龍神様とされ、小坪の八大龍王祭では御神酒を捧げて海上安全と大漁を祈願する。 |
▲小坪漁港の八大龍王 元は小坪の大崎にあり昭和42年に新港へ移設した。リョウゴンサマと呼ばれ、漁師の神である。 |
▲小坪漁港の亀大神 昭和33年に漁業青年会が建立した碑。亀は漁の神様で、死んだ亀は拾ってきてここに納めた。 |
▲小坪漁港の「奉燈大神」・「水難殃死諸霊位」碑 小坪ではお盆に浜施餓鬼をおこない、海で死んだ人を供養する。 |
▲小坪漁港 昭和53年に築港完成。サザエ・アワビの覗突き、ヒラメの刺し網、天然ワカメの採取など多様な漁業を営む。 |
▲小坪漁港のテングサ干し テングサは小坪の海で採り、洗って何度も干して商品として売る。 |
▲小柴造船所の船大工道具 40年くらい前までは木造船も手がけていた。当時使っていた船釘・ヤトコ・オノ・鋸などの道具。 |
▲小柴造船所のガラス繊維 FRPの原料となるガラス繊維。これに樹脂を混ぜ、型に流し込んで船を造る。現在は修理が主である。 |
▲小坪の漁師から話を聴く 今はイカとサザエが時期で、産卵期でカニを食べに来るイカを小型の定置網で捕るとおっしゃっていた。 |
▲小坪・伊勢町八幡宮の御嶽山大神碑 大正13年に建立された御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神の碑。 |
▲小坪・伊勢町八幡宮の灯籠 「銚子 三浦屋惣五郎」とあり、房州とのつながりがうかがえる灯籠。 |
▲小坪・披露山下からの眺め 披露山を越えると次回行く葉山の海が広がる。 |
▲新宿の高養寺 本尊は暴風雨から漁師を守ったことから浪切不動と呼ばれ信仰された。現在は浪子不動と呼ばれる。 |
★次回:2012年6月20日(水) 「相模湾の民俗 第17回」 逗子駅~鎌倉駅
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