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由比ヶ浜は漁港が無く、船の上げ下ろしのためにゴムタイヤの付いた台車に船を乗せて浜に上げているのが特徴的な光景です。かつては白棒という丸太を転がして船を動かしていました。3トン以上の船は浜に引き上げることができないため小型船が多く、出漁の度に船の上げ下ろしをしなければいけないので、「ここの漁師は日本でいちばん大変ではないか」とおっしゃっていました。こうした状況下でも、ここ鎌倉漁業協同組合は腰越よりも漁獲量が多く、年間通して多種多様な漁業が営まれています。漁業が生業として成り立っているのは、目の前に豊かな海が広がっているのはもちろん、観光地であり付近に大消費地を抱えていることも有利に働いているのではないかと思いました。由比ヶ浜を歩いてみると、砂粒が細かく、堅くしまっていてとても歩きやすいのが印象的でした。平塚や大磯あたりの海岸では、台車が砂にもぐって使いにくいのではないでしょうか。
成就院の子安地蔵前に置かれた子生石(こうみいし)は、横須賀西海岸にも子産石と呼ばれる丸石がやはり子授け・安産の信仰で祀られており、関連があるかもしれません。御霊神社境内には祭神の権五郎景正の手玉石・袂石と伝える丸石があり、子育て・安産の信仰の有無は不詳ですが、形状や石質は横須賀の丸石に似ています。成就院、御霊神社とも大小2個ずつ丸石が置かれているのは何か意味があるのでしょうか?男女を表しているのでしょうか?
坂ノ下の大太刀稲荷境内と御霊神社境内には御嶽講が建てた石碑の数々が祀られています。「御嶽山神社、三笠山神社 八海山神社」の三神を刻む石碑は、前回の腰越小動神社にも見られ、周辺で明治時代に御嶽講社の動きが活発であったことがうかがえます。御嶽講の石碑が沿岸部に多いのか、内陸部にも見られるのかは調べてみないとわかりませんが、漁業と関連があるのかどうか気になるところです。
御霊神社境内の石上神社は由比ヶ浜沖から引き上げた大石を神体として祀る神社で、7月海の日の例祭では、御供流しといって、かつて石のあった沖で赤飯を流し、海神に御供を捧げるという珍しい神事が行われます。
長谷の観音様はあまりに有名ということで今回は通過しましたが、日本最大級の木彫仏という9m18㎝にも及ぶ十一面観音菩薩はなんど拝んでも心が洗われる御尊像です。縁起によれば、養老5年(721)に楠の巨木から二体の観音像が彫られ、一体は奈良の長谷寺のご本尊となり、もう一体は有縁の地で祀られるようにと海中へ奉じられ、15年後の天平8年(736)に横須賀の長井の浦に顕れ、鎌倉へ遷座されたというまことにスケールの大きな漂着仏でもあります。
★行程:稲村ヶ崎駅~成就院~虚空蔵堂~由比ヶ浜(昼食)~大太刀稲荷~御霊神社~長谷寺前~大巧寺 参加者16名
▲成就院境内の子安地蔵 地蔵手前の子生石は安産・子育て・子授けの功徳があるという。 |
▲虚空蔵堂境内の船守地蔵 船に乗った地蔵で、造立年代は不明だが、海上安全・大漁満足の功徳があるという。 |
▲由比ヶ浜 鎌倉漁業協同組合には遊漁船が無く、定置網・シラス船曳網・刺し網・ワカメ養殖等が行われている。 |
▲由比ヶ浜の漁船 漁港が無いので、船を浜に上げ、台車へ乗せて出し入れしているのが特徴である。 |
▲わかめの直売 鎌倉のわかめは天然物と養殖物がある。2、3月が最盛期で、その後はサザエ漁が盛んになる。 |
▲大太刀稲荷境内の八大龍神碑 明治26年建立。 |
▲大太刀稲荷境内の御嶽三神碑 明治20年に御嶽講社が建立した三笠山大神、御嶽大神、八海山大神の碑。 |
▲御霊神社の手玉石(28貫)と袂石(16貫) 祭神の権五郎景正が手玉にとり、袂に入れた石と伝えられる。 |
▲御霊神社境内の御嶽講石碑 明治21年「国常立命 御嶽山神社 三笠山神社 八海山神社」の碑をはじめ、御嶽講関係の石碑が並ぶ。 |
▲御霊神社境内の石上神社 社の裏の大石は、もと由比ヶ浜の沖にあったが、船が度々座礁するため、引き上げて神社に奉納したという。 |
▲長谷寺 本尊の十一面観音は養老5年に大和国の海中へ奉じられ、天平8年に横須賀の長井浦へ顕れたといわれる。 |
▲大巧寺の安産腹帯守授与所 大巧寺は産女霊神(おんめさん)を祀る寺で、平塚からも安産の祈祷を受けに行く人が少なくない。 |
★次回:2012年5月16日(水) 「相模湾の民俗 第16回」 鎌倉駅~逗子駅
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