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7月に予定していた片瀬江の島探訪は二度も嵐の襲撃を受けて延期、待ちに待ったこの日は朝から東海道線の遅延で電車が動かない。弁天様はわれわれの上陸を拒まれているのか、そんな不安に駆られながら15分遅れで会はスタートしたのでした。風情ある江の島道をたどると、辻堂・鵠沼と同じく弘法大師信仰が盛んであった様子が感じられました。片瀬と江の島には江戸や東京の町人が奉納した石造物が多く見受けられ、江の島信仰の篤さを物語っていました。平日にもかかわらず江の島は観光客で賑わっており、夏だったらたいへんでした。
★行程:鵠沼駅~<片瀬>泉蔵寺前~諏訪神社~蜜蔵寺~片瀬市民センター(昼食)~<江の島>江島神社~延命寺~湘南港~片瀬江の島駅 参加者13名
▲泉蔵寺前の江の島道標(左)と弘法大師供養塔 管鍼術を考案した杉山検校(1610~1694)が寄進した道標で、市内に10数基が現存している。 |
▲江の島道 江の島道は片瀬、藤沢、田村を経て大山に至る道で、大山からの帰路に江の島へ詣でる人が多かった。 |
▲諏訪神社上社の震災記念碑 片瀬地区では、関東大震災により全潰180戸、流出14戸、死者33名の被害を受けたことが刻まれている。 |
▲蜜蔵寺前の弘法大師道道標 明治31年に東京千住の高盛講が建立した道標で、右面に「江之嶋道」と刻む。蜜蔵寺は相模国準八十八ヵ所霊場の第17番札所である。 |
▲蜜蔵寺の弘法大師石像 境内に数多くの弘法大師石像が並ぶ。大正7年頃から八十八体を造り始めたが、関東大震災で中断したという。 |
▲寛文庚申供養塔 寛文年間に造立し、天保13年に修復されたという庚申塔で、願文に「南無妙法蓮華経」と日蓮宗で庚申の主尊とする「帝釈天」が刻まれているのが珍しい。 |
▲道陸神 文政4年造の「祭禮道陸神」と刻む道祖神で、ドーロクジンと読む。「道陸神」は県下で10基程度存在している。 |
▲江の島道・龍口道の道標 「従是右江島道 左龍口道」と刻まれ、ちょうど龍口寺へ至る道の分岐点に位置する。 |
▲江の島の群猿奉賽像庚申塔 扇をかざして舞う猿、綱渡りをする猿、梯子に昇る猿など様々なポーズをとる36匹の猿が彫られた稀有な庚申塔。造立年は江戸後期と推定されている。 |
▲一遍上人成就水道 飲料水に窮する島民を助けるために一遍上人が掘り当てた井戸と伝えられる。周辺には蓮華地という池があり、大蛇が棲んでいたという。 |
▲江の島から湘南港・腰越方面の眺め | ▲東町の通り 東町の通りは漁村の雰囲気をとどめており、観光客は少ない。 |
▲延命寺の六観音 左から馬頭観音、十一面観音、不空羂索観音、聖観音、千手観音、如意輪観音。小屋内にも如意輪観音。境内には他にも多数の石仏が祀られている。 |
▲延命寺と納骨堂 昭和36年6月28日の豪雨により土砂が崩壊し、延命寺の墓碑は流失した。2年後に洞窟内へ納骨堂が建設された。 |
▲湘南港の漁船 片瀬江ノ島では定置網、刺し網、シラス船曳網、蛸壺漁、延縄漁などが行われている。 |
★次回:2011年11月16日(水) 「相模湾の民俗 第14回」 江の島駅~稲村ヶ崎駅
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