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小雨が降ったり止んだりのあいにくの天候でしたが、海を見下ろす道から随所に素晴らしい眺めが楽しめました。山坂が連続する長丁場の上、見どころもたいへん多かったため、終了は今までで最長の17時20分になりました。それでも時間に追われて駆け足でまわったので、もう一度晴れた日にじっくりと訪れてみたいコースでした。今回の特徴は、大正12年の関東大震災関係の石碑が、寺山神社の碑も含め4基も目にとまったこと。震源地に近い根府川の被害がきわめて甚大であったことを今さらながら知りました。また、根府川は根府川石、真鶴町岩は小松石の産地であるため、全体として石造物の数が多く、彫りの優れた大きな石造物がいくつも見られました。岩では石材を運搬するダンプカーが頻繁に運行しており、今も石材業がこの地域を支える重要な産業であることを実感しました。
★行程:根府川駅−釈迦堂−岩泉寺−大美和神社−昌満寺−八王子神社(昼食)−江之浦漁港−龍神宮−如来寺跡−石工先祖碑−真鶴駅 参加者15名
▲前回も訪ねた寺山神社の道祖神に幟が多数奉納されていた。(根府川) | ▲釈迦堂では洞内に明暦2年造立の釈迦如来石像が祀られている。(根府川) | ▲岩泉寺の大震災殃死者供養塔には、200余名もの死亡者が記されている。(根府川) |
▲大美和神社の大震災紀年碑には、震災後10日間、山中で共同自炊したことが記されている。(江之浦) | ▲大美和神社入口の耕地復旧記念碑に、震災で村内7名の殃死者を出したと記されている。(江之浦) | ▲平塚市に多い徳本名号塔は、江之浦の昌満寺(文政12年・写真)と岩の如来寺跡で見かけた。 |
▲江之浦のセーノカミ(道祖神)。お地蔵さんとの違いの一つは、錫杖と宝珠を持っていないこと。 | ▲江之浦漁港付近。どんないわれがあるのか、左の墓石には「大量妙漁法尼菩提」の塔婆が立つ。 | ▲海を見下ろす龍神宮の祭壇に、「海上衛護」の御札と龍絵の色紙も飾られている。(江之浦) |
▲眼下に江之浦漁港、遠くに小田原の町を見渡す。晴天なら最高の眺め。(江之浦) | ▲相翁松の碑のセーノカミ。お地蔵さんとの違いのもう一つは、どこか人間くさい顔つき。(江之浦) | ▲相翁松の碑の庚申塔は、罪業消滅・即身成仏を願い寛文2年に建てられた。(江之浦) |
▲本年3月29日、放火により無惨にも焼失してしまった赤沢観音堂の跡。(江之浦) | ▲岩の上のセーノカミ。一ヵ所に複数祀られるのもセーノカミの特徴。夫婦?石材が豊富だから?(岩) | ▲小松石による関東随一の石造物とされる、龍門寺の明和4年造立の宝篋印塔。(岩) |
▲児子神社付近の竜宮神には、祭壇に「大漁満足」の御札が祀られる。(岩) | ▲如来寺跡の石窟は、地獄を模して閻魔王、十王、脱衣婆、地蔵などが祀られる幽玄な空間。(岩) | ▲亡者は初七日から四十九日、百箇日、一・三回忌に十王の裁きを受け、これを地蔵が救済する。(岩) |
▲山上の石祠前に、烏天狗が一対祀られている。(岩) | ▲三猿石祠の蓋を開けると、青面金剛の石像が納められていた。(岩) | ▲岩海岸から岩漁港方面を望む。 |
下のセーノカミは、夫婦と子供の3体を祀り、もう一体の子供は大漁祈願に海へ沈められたという。(岩) | 大下のセーノカミ。(岩) | 鎌倉時代の石工・土屋格衛を石材業の元祖と崇めて建てられた石工先祖碑。(岩) |
★次回:2010年6月16日(水) 「相模湾の民俗 第8回」 真鶴駅〜湯河原駅
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