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写真でみるむかしの平塚



第5回 海岸地区・河口付近

海岸地区 JR東海道線のより南西部にあたる海岸地区は戦前は桃畑などの農地や松林が広がっていたほか、著名人の別荘や工場がありました。住宅地としての本格的な開発は昭和以降のことでした。

花水河畔からみた高麗山
現在の花水河畔からみた高麗山
花水河畔からみた高麗山 1930(昭和5)年5月31日 現在の花水河畔からみた高麗山


花水橋からみた花水川河口
現在の花水橋からみた花水川河口
花水橋からみた花水川河口 1963(昭和38)年11月
砂利採取場が見える
現在の花水橋からみた花水川河口


浜岳バス停
現在の浜岳バス停
浜岳バス停 1967(昭和42)年5月 現在の浜岳バス停


平塚市図書館は1970(昭和45)年に現在の図書館になる前は花水台の旧海軍の通信学校跡(現海上自衛隊平塚宿舎)にありました。桃浜町公園ホッケー場は1955(昭和30)年の第10回国民体育大会にあわせてつくられたもので、1965年にテニス場に改造されて今にいたります。

平塚市図書館
桃浜町公園ホッケー場
平塚市図書館(現海上自衛隊平塚宿舎)
1968(昭和43)年5月
桃浜町公園ホッケー場


湘南遊歩道路 現在の国道134号線の前身となる湘南遊歩道路は神奈川県が湘南地域の観光開発促進などを目的に建設し、1936(昭和11)年に開通しました。

湘南遊歩道路
現在の国道134号線
湘南遊歩道路 1954(昭和29)年
石田修一氏撮影
現在の国道134号線


湘南遊歩道路
現在の国道134号線
湘南大橋 1936(昭和11)年ころ 現在のトラスコ湘南大橋


相模川河口付近 相模川河口付近は馬入川とも呼ばれます。江戸時代にはかけられなかった馬入橋は、1878(明治11)年にかけられるようになりましたが、1923(大正12)年の関東大震災で東海道本線馬入川橋梁とともに倒壊しました。この時に倒壊した橋脚の一部は現在も見ることができます。

関東大震災で倒壊した馬入川橋梁
現在でもみられる倒壊した橋脚の跡
関東大震災で倒壊した馬入川橋梁 1923(大正12)年9月 現在でもみられる倒壊した橋脚の跡


東海道線馬入川橋梁
現在の東海道線馬入川橋梁
東海道線馬入川橋梁 1930(昭和5)年6月
東京-国府津間が1925年までに電化され、高架線が見られる
現在の東海道線馬入川橋脚


馬入橋から北を望む
馬入橋から北を望む 1960(昭和35)年1月
1965年に完成する馬入工業団地がなく見通しがよい


馬入川の河畔
現在の馬入川の河畔
馬入川の河畔 1953(昭和28)年9月
船をつなぐのにも使われた護岸用の棒杭が目立つ。 石田修一氏撮影
現在の馬入川の河畔


相模川の砂利採取 相模川では大正時代初期から機械船による砂利採取が始まりました。採取船がベルトコンベアで川底の砂利を掘り上げ、その砂利を砂利船で河口に停泊しているトーケ船に運んで積み替え、京浜地帯に送られて建築資材になりました。また、トロッコで平塚駅の貨車へも運びました。しかし、河床が大幅に低下したため砂利採取は1964(昭和34)年に全面禁止になりました。

     
砂利採取船とトーケ船
砂利船
砂利採取船とトーケ船 1932(昭和7)年11月砂利船 1930(昭和5)年6月


砂利を運ぶトロッコ
砂利を運ぶトロッコ 1930(昭和5)年6月
 

第4回 駅のまわり2    第6回 校外のようす 上平塚・大野・旭


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