みなさんが持っている教科書をみてみると、上の【写真1】のような縄文時代(じょうもんじだい)の生活の様子が描かれていると思います。
土器(どき)を作っている人、食べ物をもってきている人、料理をしている人。そして、たくさんの建物がありますね。
ここではこうした「たてもの」についてみていきます。
屋根から壁まで、カヤのような植物でつくられている建物がえがかれていると思いますが、これはいったいどのような建物なのでしょうか。
わたし達の今の生活でも、建物といえば多くは「あれ」ですよね。そう、ふだん住んでいる「家」です。
【写真2】は、平塚市の岡崎にある「上ノ入遺跡(かみのいりいせき)」で見つかった、縄文時代の家の跡です。
地面を掘って床とするこの家のことを「たて穴住居(たてあなじゅうきょ)」とよんだりします(よび方はほかにもあります)。
こうした家は、縄文時代が始まる1万年以上前から、日本のいたるところでつくられていたと考えられています。
先ほどの遺跡(いせき)で見つかった写真では少しわかりづらいと思うので、【写真3】を見てください。
たて穴住居の床にある穴はいろいろな役割がありますが、大きく二つの役割のために作られたものです。
ひとつは「柱の穴」です。これは、家の屋根やかべなどを支えるための柱をたてた時につくられた穴です。
もうひとつは「火を使う穴」で、これは「炉(ろ)」ともよばれます。土器(どき)を使って料理をしたり、
何かをあっためたり、家の中を明るくするためなど、火を使わなければならないときに掘った穴です。
遺跡の(いせき)の調査(ちょうさ)では、立てられたままの柱や屋根などが見つかることがほとんどないので、
くわしくは分かりませんが、【写真4】のようにたてものをつくっていたのでしょう。
さて、縄文時代(じょうもんじだい)の家はたて穴住居だけではないのです。ほかにもいくつかあります。
【写真5】は、同じく「上ノ入遺跡(かみのいりいせき)」で見つかった敷石住居跡(しきいしじゅうきょあと)です。
家の床にひらべったい石をしきつめていて、家の一部が飛び出ているのが特徴です。
およそ4000年前から数百年間の短い期間でしか見つかっておらず、また、“特別な人”の家と考える説もありますが、くわしくは分かっていません。
上ノ入遺跡では2つの敷石住居が見つかっており、そのうちのひとつが博物館に移され、展示されています(【写真】6)。
【写真7】は「日向岡遺跡(ひなたおかいせき)」で見つかったきみょうなたてものの跡です。
小さい穴がたくさん、丸く並んでいる様子がわかるでしょうか。
これは本当にたてものの跡であるかはわかっていないので、「サークル状建物跡」と仮によんでいます。
周りの小さな穴を柱の穴として、その中を住むところと考えれば、家のように見えなくもないですが…
上ノ入遺跡(かみのいりいせき)は、今の岡崎小学校付近にある遺跡です。この遺跡は小さい山のように高くなっている地形(台地)にあります。
伊勢原台地(いせはらだいち)とよばれるこの台地には、ほかにも多くの遺跡があります。
上ノ入遺跡では、食べ物がほとんど残らない日本の遺跡ではめずらしく、クルミやキツネノカミソリ類の球根などが見つかっています。
また、カエル?のような不思議なもようがつけられた有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)も見つかっています(【写真】9)。
この土器は、全国的にもあまり見つかっていない貴重(きちょう)なものです。
付けられたもようがどのような意味を持つのか、どのように使われていたのかはわかっていません。