平塚の地形地質 (5.平野の地層をさぐる)

平塚市域のボーリング柱状図

最終更新 1998年5月

砂州・砂丘地帯にある春日野中学校では、砂層は25mもの厚さがあり、間に砂礫層を挟んでいます。砂層の下は泥層が続いています。厚い砂層は砂州・砂丘地帯ではどこでも認められます。相模川沿いの自然堤防の縁にある神田中学校では、7m下位に河成と思われる砂礫層があり、海成の砂層を削りこんで堆積しています。後背湿地にある横内中学校や金田小学校では河床ないし自然堤防の堆積物である砂礫層や砂層の上に、粘土層ないし泥炭層が重なっています。こうした泥炭層は台地を刻む谷底平野を構成するものでもあり、岡崎の台地を刻む大御住の低地などで厚くみられます。  粘土層や泥炭層は、多量の水分を含む軟弱な地層であり、軟弱地盤と呼ばれます。柱状図の右にある数値は、標準貫入試験により得られた値でN値と呼ばれます。これは63.5kgの重りを一定の高さから落下させ、30cm潜り込むのに要する回数を言います。数値が小さいほど、地盤が軟弱である事を示しています。泥質な堆積物ほどN値が極めて小さく、軟弱地盤をなします。  金目川沿いの金旭中学校では、同じ敷地内で場所により地層が大きく異なっています。東側の川に近い体育館では5m程の砂礫層がみられますが、西側の校舎側では厚い砂質シルト〜粘土〜泥炭層がみられます。川沿いの場所は河川の流路の変遷により、河道になったり、氾濫原になったりと変化が多く、地層の側方変化がよく起こります。河道に近いほど、上流になるほど礫質な地層となります。また、この金旭中学校では標高0mほどに沖積層の基底があり、平らな面を持っており、埋没波食台と考えられます。この波食台の形成は縄文海進以後、砂州の形成以前と考えられています。同様の埋没した地形は城島小学校の下にも見られます。ここには−10m程に平坦な面があります。貝塚・森山(1969)はこれを埋没上位段丘と呼び、3万年前に形成された相模川による段丘と考えています。

平塚市域の代表地点の柱状図(柱状図右側の数字はN値)

扇状地性の礫層(南金目)

自然堤防の礫混じり砂層(四之宮)

砂を覆う凹地の地層(新町)