平塚の地形地質 (4.平塚・平野の地形)

玉川の流路と削られた砂丘

最終更新 1998年5月

中原の北側を流れる渋田川はかつては玉川と呼ばれていました。南原の橋は玉川橋と言います。玉川は厚木市七沢から流れる川で、現在では新玉川として厚木市酒井で相模川に注いでいますが、かつては愛甲台地の縁を通って、平塚市吉際を経て花水川に注いでいました。  この川沿いの地形は砂州・砂丘地帯より比高が1〜3m低くなっっています。この玉川が砂州・砂丘を削り込んで流れていた跡である旧河道が非常に良く発達しています。現在でも大縄橋付近、中原橋〜立掘橋付近、玉川橋〜南原小学校付近にかけて、その様子を見ることができます。中里の八雲神社や平塚商業高校裏手の高まりは砂州であり、その前にある低地はこの川の氾濫によって形成されたものです。八雲神社は、八幡の川除稲荷と同様、川の氾濫により侵食を受けた砂州の先端部にあたるわけです。

達上池の堤防

東雲橋からの花水川の流路

空からみた南原付近の地形
(平成3年9月撮影)