八幡から四之宮にかけて南北に比高2〜4m程の崖が連なっているのをご存知でしょうか。古くからの集落のある129号線旧道沿いの砂州列と、工場地帯となっている相模川沿いの低地との境です。即ち、かつて海岸線がこの辺りにあった頃、砂州列は東へ延びて寒川付近にまで達していたと考えられます。その後、相模川がこの砂州列を削って河口へ流れたので、現在の砂州東縁の崖が生まれたことになります。八幡の川除け稲荷はまさにその東縁にあたります。川除け稲荷は天文9年(1550年)の相模川の大洪水の後に建てられたと言伝えられています。かつてこの崖下を川が流れていたと考えられる旧河道は、東八幡の数ヶ所で現在でも認められます。四之宮公民館前等に見られる土地の高低はまさにそれを物語っています。 | |
四之宮公民館前に残る砂州の高まりと低地 | |
八幡の川除稲荷 | |
東八幡1丁目の旧河道の名残 | |
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