この地域には図に見られるように、際だった砂丘列の高まりはなく、4列の砂州列と考えられる高まりと堤間凹地がセットになってみられます。標高は8〜10mであり、大部分が9m台であり、意識しなければ、その高低に気がつかないくらいです。下田川の低地の谷頭部が西八幡3丁目に、谷川の低地の谷頭部が神明中学校付近にあります。この堤間凹地の谷頭部には、神明中学校の北東 300mに神明池と呼ばれた池があったことが、明治24〜40年代の地形図からわかります。この池は砂州列間の湧水により生まれたものと考えられます。この池より西へ谷川が流れ、御殿にて旧玉川に注いでいました。現在では神明池も谷川も見ることができなくなりましたが、地表面の高低から谷川の低地の存在を知ることができます。 谷川低地の北側には四之宮北向き観音堂から大野小学校南を経て三共工場北に至る砂州列があります。谷川低地の南側には高林寺から四之宮天神前にかけてわずかな微高地があり、南原小学校付近へと続きます。下田川低地の南側には八幡八坂神社から西方に続く砂州列がありますが、連続性は良くありません。 こうした砂州列間の凹凸は極めて小さいように見えますが、地下を掘ってみてみると、実際には非常に大きかったことがわかります。人為的な低地の埋立と砂州列の削平により平坦化が進んでいるのです。新町の三共工場内における遺跡発掘現場では、谷川を埋立てた人為的な埋土が 1.5mに及び、か つての自然の地表は標高が 7.5mであったことがわかりました。ここでは砂州から堤間凹地に至る地層も良く観察され、凹地では厚さ1m程の腐植物に富む泥層がみられました。 | |
空からみた八幡付近の地形 (八幡の集落が密集する自然堤防と工場地帯の旧河道に注目) | |
八幡・四之宮地域の地形(等高線は平塚市昭和47年地形図による) | |
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