南北別の相対数グラフからは、今周期の活動状況とその時期に南北で差異があったことが読み取れる。北半球の移動平均が1989年6月にピークになっているのに対し、南半球では1991年7月に今周期の最大となっている。およそ2年の前後を生じているのである。また、時期の前後にとどまらず、グラフの山の形状にもはっきりとした相違が見られる。すなわち、北半球のグラフは立ち上がりが急で、衰えは緩やかであるのに対し、南半球は上昇が緩やか、衰えが急、という逆の様相を見せているのである。
出現分布を緯度別にプロットした蝶型図を見ると、南半球は、全体としては活動の前半で高緯度に開き、後半で低緯度にすぼまる蝶の翅の一枚を形成するものの、1988年から90年にかけて、-30°付近で翅がほころびたようになっているところがある。プロットの濃い部分は、1991年ころ、-10°~-20°の、やや低めの緯度で幅が広い。これらが、あまり尋常とは言えない南半球の相対数グラフの形状に反映されていると見ることができるだろう。一方の北半球には、90年から91年にかけて、高緯度から低緯度に向かって1条の裂け目のようなものが蝶の翅に見られる。
活動が上昇を始めた1987年の段階では、むしろ南半球の方が活発化は早かった。とは言うものの、1989年、北半球の活動がピークを迎えた時に、南半球の活動に何らかの欠落が発生してピークの形成が阻害された、とまでここから言い切ることはできない。1991年の南半球の相対数の水準は、1989年の北半球のピーク時に勝るとも劣ってはいないのである。欠けたのか、遅れたのかはわからない。これについては、太陽活動の状況を知らせる、黒点以外の指標の観測結果を待たねばならないと考える。
このように相対数(移動平均)の最大は南北でおよそ2年の前後を生じたわけであるが、南半球はその後急激に黒点活動を衰退させ、1995年後半には北半球と同レベルまで落ち込んだ。極小は極大のように明瞭なピークを作らないので断定は難しいが、少なくとも極大に見られた2年もの大きな食い違いは、以後の状況からは見られないと言うことができる。
図2 月別平均相対数の変化 (南北別) |
図3 蝶形図 (’76.7~’97.12) |