火星大接近 2003 (火星観測史)

チコ・ケプラーの時代の惑星運動モデル

平成15年秋季特別展図録 平成15年10月発行

 大航海時代を迎えたヨーロッパでは、地球が丸いということが再確認され、中世を支配した宇宙観がようやくゆらいできていました。ポーランドのコペルニクスは、太陽を中心とし、その周囲を地球を含めた惑星が回るという太陽系のモデル(地動説)を1543年に発表しました。
 地動説は、はじめ、現実世界に絶大な権力を保つ教会から批判され、また、プトレマイオスに始まる体系の完全さもあって、天動説に取って代わるほどにはなりませんでした。
 16世紀後半、精密な天体の位置観測を行ったチコ・ブラーエは、コペルニクスの説と、地球を中心とする聖書的宇宙観のはざまで、地球を中心に回る月と太陽を配し、その他の惑星は太陽を巡るという、折衷的な、しかし意外に哲学的なモデルを提案しています。
 チコの弟子ケプラーは、チコの火星観測デタにより惑星運動を研究するうち、等速運動をしない楕円軌道を用いることを編み出しました。現在でも用いられるケプラー法則です。ここにおいて宇宙観はついに「円」という呪縛から解放されたわけです。その後地動説は、ガリレオの天体観測やニュートンの引力法則発見によって確認されて行きます。

チコ・ブラーエの考えた太陽系
地球を中心に月と太陽がまわり、ほかの惑星は太陽を中心に回る。天動説の周転円の
中心に太陽をおいたようなモデルで、火星の運動の軌跡は前項の天動説と同じようになる。


壁面四分儀で観測するチコ・ブラーエ
まだ望遠鏡もなく、チコの観測は星の位置の測定が中心でした。


古星図に図案として描かれたコペルニクスの太陽系
(千葉市立郷土博物館)