巡回展「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」展示品紹介

*このページは、2001年秋に開催された巡回展「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」の展示資料を解説したものです。
最終更新:2001年11月3日

「寛政12年(1800)「記憶簿」大磯町郷土資料館所蔵」
寛政12年(1800)「記憶簿」大磯町郷土資料館所蔵

3 休泊者の出迎え

 参勤交代の大・小名のほか、公家、宮門跡、勅使、幕府公用人などが、本陣に休泊する場合、50日、100日もしくは1年も前から各宿駅の本陣や問屋場へ事前に通知するのが習わしです。この事前の通知を「先触」といいます。本巡回展では平塚宿問屋場への先触が展示(貼交屏風)されています。この事前の先触は、宿通過時の人馬の手配や宿泊先である本陣の利用を事前に確保する必要があったからでした。
本陣利用の当日、本陣では利用者出迎えのため、本陣主人自ら、あるいは代理として遠見の手代を出します。大磯宿小嶋本陣では、下りの時は間の宿梅沢、上りの時は間の宿南郷(南湖)まで出迎えるのが通例でした。
 本陣利用者について、本陣は「由緒書」「記憶簿」といった種類の書類を作っています。この「由緒書」「記憶簿」といった書類は、何時、誰が、どんな用で、何人が利用したか、あるいは利用に際し、本陣ではどのような処遇をしたかなどを代々にわたり克明に記録したものです。したがって、本陣では定宿として利用する利用者について、さまざまな記録を残し、万端、粗相のないように受け入れを準備していました。
 写真は、寛政12年(1800)作成の小島本陣の「記憶簿」です。
 この「記憶簿」は、大磯宿を過去に利用したことのあるすべての大・小名について、城持ちであるかないか、国主であるかないか、外様か譜代かの別、禄高や国の所在地、江戸屋敷の所在地、小島本陣を定宿とするかどうかなどを記号と色で区別し、槍印にいたってはその形を彩色し図式化して一冊の帳簿に仕立てたました。したがって、この帳簿を見ると一目で利用者のことが判るようになっています。出迎えに出た本陣主人や手代は、出迎えに際し、この「記憶簿」を常に携帯し出迎えに出たものと考えられます。行列の先頭に見える槍印や荷印により、遠くから進んでくる行列がそれとわかります。利用者である場合、使いを走らせ、本陣到着の近いことを知らせ、準備を指示したのでした。

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