巡回展「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」展示資料紹介
*このページは、2001年秋に開催された巡回展「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」の展示資料を解説したものです。
最終更新:2001年11月3日
|
年不詳(天保12年以前)「間の宿本陣松屋絵図」
和田義則氏所蔵
2 間の宿本陣松屋
各宿と宿の間にある村のことは、「間の村」と呼びます。この「間の村」は、県下の東海道9宿の間に合計56カ村を数えます。この「間の村」の中には、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所、あるいは馬の付け替え・継ぎ立ての場所として立場が設けられた「間の村」もありました。立場は、休息所としての役割を持つことから、宿と宿との間の距離が長くなればなるほど休息所の必要性は高くなり、立場の数も増える傾向にあります。しかし、立場は宿間を均等に割って設置されていたわけではありません。また、立場は休息所であることから「掛け茶屋」と称される茶店が設置される場合がありました。こうした茶屋のある立場を、特に「立場茶屋」といい、一般に街道町並みの端の一画に集中する傾向にあります。山西村梅沢の地は、川勾神社をひかえた東海道沿いの門前町として、山西村のなかでも早くから栄えていた場所で、立場としても有名な場所です。
この梅沢の立場について、『新編相模国風土記稿』の中では「小名越路に立場あり、梅沢の立場と呼ぶ、茶店軒を連ね、諸侯の憩休所等もありて、頗繁栄なり」と記述します。文中の「諸侯の憩休所」が「茶屋本陣」松屋です。間の宿本陣は、休憩のみの利用が認められていたことから、大磯宿や平塚宿にある本陣と区別して「小休本陣」とも呼ばれました。右の写真は、天保12年(1841)正月に焼失した本陣松屋の敷地と家屋の見取り図です。
間口7間半(13.5m)、奥行き15間余(27.3m)の112坪余の規模を持ち、街道に面した右側は、白壁塀に囲まれ、一段奥まった所に屋根付き御門と敷台付き玄関があります。玄関奥には内玄関、それに続き違い棚や床間付きの上段の間があり、規模こそ小さくなりますが、その造りは、大磯宿や平塚宿にある本陣と同じような造りになっています。
→「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」メニューへ
→過去の特別展のメニューに戻る
平塚市博物館 254-0041 神奈川県 平塚市 浅間町12-41
電話:0463‐33‐5111 Fax.0463-31-3949