街道の整備には、伝馬制の制定のほか一里塚が設けられ、並木が植えられて交通の利便が計られます。一里塚は日本橋を起点に一里毎に設けられた塚ですが、道標としての役割も果たしていました。また、並木は旅人にとって陽光から身を守るものであり、宿と宿の間の町屋が途切れる街道の道路界の代わりとなるものでした。宿の施設には、伝馬を掌る問屋(といや)が設けられ、伝馬に掛かる一切の事務を職掌します。また、宿泊施設には本陣・脇本陣・旅籠屋(はたごや)があり、本陣には原則として一般旅人の宿泊は禁止されました。人為的に街道には軍事的な目的から関所が設置され、大河川には架橋しないという障害物を設けはしましたが、箱根山中の石畳、急坂の土留木による階段施設、宿と宿の間の立場の設置など、江戸時代の街道は、交通組織や施設が十分に整備された時代ということができます。その街道の中心が東海道でした。
図(上)平塚宿加藤本陣跡の碑
図(下)江戸から長崎までの道中絵巻にある平塚宿付近
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