戦時下、旧平塚市須賀378番地にあった米善は、敷地17.390平方m、その敷地の中に数多くの倉庫群(建築面積6.608平方m)を持ち、職工員32名を擁した味噌醤油醸造業を営む工場(昭和13年調べ)でした。当時、敷地内の倉庫群は、軍に関係した米や缶詰(鮭缶詰)の備蓄倉庫として利用されました。昭和20年7月16日の空襲により、その倉庫群も被弾し、倉庫内備蓄品の大半が失われたと言われます。現在、米善には、稲荷社鳥居の焼けた扁額と火災の熱により変形した灯籠が残されています。 | |
角が取れ変形した灯籠 稲荷社鳥居の焼けた扁額 | |
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