昭和12年、馬入天沼の地に日本航空工業kkが設立されます。同16年、国際航空工業と合併、社名を日本国際航空工業kkと変更します。この工場は、陸軍戦闘機「疾風」の三翼自動可変ピッチ・プロペラや大型輸送用グライダーを製作した会社でした。大戦末期、出征などによる労働力を補うため、岩手県・宮城県・山形県などから中学生が勤労動員され生産に従事しますが、遠方の学徒は、平塚市東浜嶽3333にあった日航住宅(通称「花水寮」)に分散居住し、そこから工場へ通いました。現在もこの寮の一棟が残ります。 | |
今も残る「花水寮」建物 | |
| |
| |
| |
|